Q.人は自殺によって救われるのでしょうか?

Q. 人は自殺によって救われるのでしょうか?

A. 救われません。

自殺は問題の先送りであり、その人の苦しい状況を楽な状況にすることはない

聖書は、人は必ず「復活」することを述べており、自殺はその人の問題を先送りにするだけである

聖書の御言葉は、人は必ず肉体をもって「復活」することを明示しています(ヨハネ5:29)。肉体の死は一時的にその人の魂を肉体から分離させますが、それぞれに定められた時が来ると、人は必ず肉体をもって、その人の生前持っていた問題を保持したまま「復活」します。ですから、自殺はその人の問題を解決することはなく、その人の問題は「復活」後にその人に再度戻ってきます。自殺はその人の問題を先送りにするだけであり、決してその人を問題から救うことはありません。

むしろ自殺は問題を解決する手段を失わせる

自殺は単に問題を先送りにするだけでなく、むしろ問題を解決する手段を失わせます。

キリストを信じ受け入れた「信者」の場合:千年をかけて問題を解決しなければならない

一度得た永遠の命を失わせる方法は存在しない

先ず前提として、信者は自殺によって永遠の命を失うことはありません。一度得た永遠の命を失わせる方法は存在しません。ですから、信者が永遠の火の池に行くことはありません(ヨハネ10:28)。

自殺した信者は復活し、生前持っていた問題を後悔ながら、火をくぐるような懲らしめを受ける

しかし、自殺をすることは天におられる父のみこころを行なうことではないので(マタイ18:14)、自殺した信者たちは大患難の終わりごろに復活させられた後(マタイ25:7,Iテサロニケ4:16)、小羊の婚宴の席につけず(マタイ25:9-12)、千年王国の間は外の暗やみで後悔のゆえに泣き叫んだり歯がみしたりしなければなりません(マタイ 7:21-23,22:13)。自殺した信者たちは千年間、彼らの生前持っていた問題を後悔ながら、火をくぐるような懲らしめを受けた後に救われ(Iコリント3:15)、新天新地の新エルサレムに迎え入れられます。

あなたは今、恵みと共に問題を解決することを願うでしょうか?それとも、自殺することによって、千年間、恵みの臨在なしに問題を解決することを願うでしょうか?

わたしたちが今生きている人生はせいぜい百年を超えない年数です。あなたは数十年の苦難と千年の苦難、どちらが良いでしょうか?今わたしたちが生きているこの時代は恵みの時代であり、主イエスは常に迷い出た羊を捜し、救うことを願っておられます(マタイ18:11-13)。また主は、信者たちが耐えられないような試みに遭うことを許されず、わたしたちがそれに耐えることができるよう、試みと共に、逃れる道をも備えてくださいます(Iコリント 10:13)。あなたは数十年、主と共に試みを耐え忍ぶならば、今のこの時代でも救われ(マタイ10:22)、また、天におられる父のみこころを行なうことで、千年王国でも褒賞を受けるでしょう。しかしあなたが安易に自殺を選ぶならば、次の千年間、キリストは婚宴において花嫁を迎える花婿として(マタイ22:2)、あなたのためではなく花嫁のためです。千年王国における花嫁は、生きているうちに彼ら自身の十字架を負い、主に従って魂の問題を解決した(マタイ16:24-27)、勝利を得た信者たちからなる団体の花嫁です。主は千年間もっぱら花嫁を顧みられます。反対に、自殺したあなたに対しては、戸は閉められ、戸をたたいても主は「わたしはあなたがたを知らないし、あなたがたがどこから来たのかも知らない」と言われるでしょう(ルカ13:25)。あなたは今、恵みの臨在と共に問題を解決することを願うでしょうか?それとも、自殺することによって、恵みによる問題解決の機会を失い、千年間、恵みの臨在なしに問題を解決することを願うでしょうか?

今は恵みの時代、求める者は受け、捜す者は見いだし、門をたたく者には開かれる時代

今のあなたにとって、目の前の問題を解決することはとても狭い門に見え、自殺することは広い門に見え、道も幅広く見えることでしょう。しかし、その広い門は崩壊に至る門です(マタイ7:13)。今は恵みの時代です。求める者は受け、捜す者は見いだし、門をたたく者には開かれる(マタイ7:8)時代です。あなたが求めるならば、天におられるわたしたちの父は、あなたの問題を解決するために良い贈り物、聖霊を祝福として与えてくださることでしょう(マタイ7:11,ルカ11:13)。

主はわたしたちの弱さに同情することができる方

主はすべての面でわたしたちと同じように試みられた方で、わたしたちの弱さに同情することのでる方です(ヘブル4:15)。今のあなたは自分の苦しみは誰も理解できないと思っているかもしれませんが、主はあなたの内ですべてを理解し、またあなたの弱さ、苦しみに同情することができます。主はその上であなたのすべての問題の解決となることができる方です。

主の御名を呼び求める者はすべて救われる

聖書は「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」と言います。主の御名である「イエス」は、ヘブル語の名前「ヨシュア」(民13:16)と等しいギリシャ語で、「エホバ救い主」、あるいは「エホバの救い」という意味です。「エホバ」の御名の意味は「わたしはある」であり、またこの名前は神と人との関係を語る時に用いられている名前です。「エホバ」の御名は金額が書かれていない小切手のようであり、わたしたちは自分の必要な金額をそこに記入し、神にそれを求めることができます。もしあなたが『慰め』を必要とするなら、神は「わたしは『慰め』である」方としてあなたの救いとなられます。その様な御名を持つイエスの名をあなたは、自分自身の苦しみの状況に適用することができます。あなたがどの様な状況にあっても彼はその問題の解決となることができる方です。あなたの心が軽くなるまで、「おお、主イエスよ!」と何度も呼び求め、イエスの御名にあなたの苦しみを投じてください。今も主はあなたに呼び掛けておられます「すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい.そうすれば、わたしはあなたがたに安息を与える。わたしは心の柔和なへりくだった者であるから、わたしのくびきを負い、わたしから学びなさい.そうすれば、あなたがたは魂に安息を見いだす。なぜなら、わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイ11:28-30)。

あなたの苦しみは決して無駄な苦しみではない

ルカ22章31-32節で主はペテロに対して「シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを得ようとして、麦のようにふるいにかけた。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないようにと、あなたのために祈り求めた.だから、あなたが立ち直った時には、あなたの兄弟たちを堅固にしなさい」と言いました。この言葉は今日、あなたに対しても語られている言葉です。主はあなたの信仰がなくならないようにと、あなたのために祈り求めておられます。ですから、あなたは主と共に留まるかぎり、あなたの信仰は失われません。そしてまた、あなたが経験した苦しみは無駄な苦しみではなく、あなたが立ち直った時、あなたの経験は生かされ、あなたの兄弟たちを堅固にすることができます。神を愛する者、すなわち、彼の目的にしたがって召されている者たちには、すべてが共に働いて益となるのです(ローマ8:28)。

キリストを信じ受け入れない人の場合:永遠に問題を解決する手段を失う

神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神であるので、自殺した後にキリストを信じ受け入れることはできない

神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です(マタイ22:32)。ですから、生きているうちにキリストを信じ受け入れなかった人は、自殺によって死んだ後にキリストを信じ受け入れることはできません。

生きているうちにキリストを信じ受け入れなかった人は、復活の後にキリストを信じ受け入れることはできない

信仰の結果である魂の救いを受けるのは、見たこともないイエス・キリストを愛し、イエス・キリストを見ていないのになお信じ受け入れることによります(Iペテロ1:8-9)。生きているうちにキリストを信じ受け入れなかった人は、復活の後に直ちに、白い裁きの座に座るイエス・キリストを見ます(啓示録20:11-12)。ですから、もはや見たこともない方を愛し、見ていない方を信じ受け入れ、信仰の結果である魂の救いを受ける機会は永遠に失われます。

イエス・キリストは裁き主として、人の生前の記録にしたがい裁きを行う

生きているうちにキリストを信じ受け入れず自殺した人は、復活の後に裁き主であるイエス・キリスト(使徒10:42.17:31.IIテモテ4:1.ローマ2:16)の前に立たされ、彼の働きと行為の記録を確認され、彼の行ないにしたがって裁かれます(啓示録20:11-12)。自殺はその人の問題を解決するどころか、問題を先送りにした上で、問題を解決するする手段を失わせ、最終的には全ての問題が詳らかにされた上で、全ての問題が裁きとしてその人の上に戻されます。

「今」は喜んで受け入れられる時、今は救いの日である

聖書は「今は喜んで受け入れられる時、今は救いの日である」と言います(IIコリント6:2)。今、あなたは死にたいと思えるほどの問題を抱えているでしょうか?では、今は喜んで主イエス・キリストに受け入れられる時、今は救いの日です。なぜ、あなたは問題の解決を先延ばしにして良いことがあるでしょうか?肉体の死はあなたから問題を分離したりすることはなく、死んだ後も問題はあなたを離れることなく、常にあなたの魂と共に同行し、あなたを苦しめます。あなたは後悔の炎の中で、苦しみもだえますが、それを冷やす手段はありません(ルカ16:23-24)。「今」があなたの問題を解決する最上で最適な日です。「今」は喜んで主イエス・キリストに受け入れられる時、「今」は救いの日です。

簡単な救い「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」

今、あなたは死にたいと思えるほどの問題を抱え、もう誰にも会いたくないと思っているかもしれません。聖書はあなたに救いを得るために誰かに会いに行くことを強要しません。聖書は「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」と言います(使徒2:21,ローマ10:13)。あなたはただ、あなたの心を主に開き「おお、主イエスよ!」と呼び求め、主を信じ受け入れるならば救われます。この救いは先ず、あなたに永遠の命を与え、永遠の滅びを免れさせます。そして、あなたは主の御名を継続して呼び求め続けるならば、救い主の計り知れない豊富を享受する結果となるでしょう(ローマ10:12)。この計り知れない豊富は主が与える水であり、決して永遠に渇くことはなく、あなたの内で泉となって、永遠の命へとわき出ます(ヨハネ4:14)。あなたは内側から潤され、神の神聖な命があなたの抱えている問題を飲みつくしてしまうでしょう。

聖書の知識がある者が救われるのではなく、救い主を追い求める心を持ち、主を信じ受け入れる者が救いへと至る

あなたは自殺しないために聖書の知識が必要だと勘違いしているかもしれません。確かに御言葉が示す救いが何であるかを知らなければ救われませんが、人は聖書の知識のゆえに救われるのではなく、救い主を追い求める心を持ち、主を信じ受け入れることを通して救われるのです(マルコ16:16,使徒8:37,16:31)。

マタイによる福音書の2章で、星観測者たちが東からエルサレムに着いて「ユダヤ人の王として生まれた方はどこにおられますか?わたしたちは彼の星が昇るのを見たので、彼を礼拝しに来ました」と述べました。この時、ヘロデ王は祭司長たちと民の聖書学者をみな集め、キリストはどこで生まれることになっているかと尋ねました。彼らはヘロデに旧約聖書の御言葉を引用しつつ「ユダヤのベツレヘムです.それは、預言者によってそう書かれているからです」と答えました。祭司と聖書学者はいずれも、キリストの誕生に関する知識を持っていましたが、東方からの星観測者たちのように、キリストを尋ね求める心がありませんでした。その後、星観測者たちは再び星に導かれ、キリストを見いだし、彼を礼拝しました。ユダヤ人は死んだ文字の、キリストに関する頭の中の知識だけを持っていました。ところが星観測者たちは、彼に関する生けるビジョン(星)を受け、キリストを追い求め、礼拝し、救われました。聖書の知識を得ることは重要なことですが、知識を得ることが救いの条件なのではなく、救い主を追い求める心を持ち、主を信じ受け入れることが救われる条件です。

どうか今、「おお、主イエスよ!あなたを信じ受け入れます」と祈り、救いを得てください。そして、あなたの心が軽くなるまで「おお、主イエスよ!」と呼び求め続けてください。主は最高の医者(マタイ9:12)、最高のカウンセラーとなってくださいます。

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