Q 聖書は「聖霊で満たされる」と言いますが、聖霊はどの様に私たちを満たすのでしょうか?
A ギリシャ語原文では「満たされる」という意味の言葉は、器の内側を満たすことを意味する「プレロー(pleroo)」と、外側で満たすことを意味する「プレソー(pletho)」があります。聖霊は弟子たちのクリスチャン生活のために、彼らの内側を、本質上において満たされました(プレロー:使徒13:52)。また、聖霊は彼らのクリスチャンの務めと動きのために、彼らの外側を、エコノミー上(神のご計画の遂行上)において満たされました(プレソー:使徒2:4)。
補足説明
使徒行伝2章4節の「満たされ」のギリシャ語は「プレソー(pletho)」(4:8、31.9:17.13:9.ルカ1:15、41、67でも使われている)、外側で満たす。本書での使われ方によれば、「プレロー(pleroo)」は、2節で風が家の内側を満たしたように、器の内側を満たすことを示します。プレソーは、この節でその霊が弟子たちを外側で満たしたように、人々を外側で満たすことを示します(充溢)。彼らが内側で、本質上においてその霊で満たされたのは(プレロー―13:52)、弟子たちのクリスチャン生活のためでした。彼らが外側で、エコノミー上においてその霊で満たされたのは(プレソー)、彼らのクリスチャンの務めのためでした。内側を満たす霊、本質上の霊は、弟子たちの中にあり(ヨハネ14:17.ローマ8:11)、外側を満たす霊、エコノミー上の霊は、彼らの上にあります(1:8.2:17)。キリストにあるすべての信者は、聖霊の両方の面を経験すべきです。キリストでさえ人として、同じことを経験されました。彼はその存在と生活のために、本質上において聖霊から生まれ(ルカ1:35.マタイ1:18、20)、彼の務めと動きのために、エコノミー上において聖霊で油塗られました(マタイ3:16.ルカ4:18)。本質上の霊は彼の内側にあり、エコノミー上の霊は彼の上にありました。
注ぎ出された霊の外側の満たし(充溢)は、昇天したかしらが、彼のからだをその霊の中へとバプテスマするためでした。ペンテコステの日に、ユダヤ人信者たち、すなわち彼のからだの最初の部分がバプテスマされました。そしてコルネリオの家で、異邦人信者たち、すなわち彼のからだの第二の部分が同じようにバプテスマされました(10:44-47)。この二段階によって、彼は彼のからだ全体を、ご自身の適用と実際化であるその霊の中へと、一度で永遠にバプテスマされたのです(Ⅰコリント12:13)。彼が彼のからだをその霊の中へとバプテスマしたことは、ご自身の中へとバプテスマしたことです。これは、からだのかしらであるキリストによって、第1章5節で約束された聖霊の中でバプテスマすることの成就です。(使徒2:4フットノート2)