王国( βασιλεία<basileia>―マタイ5:3)
【回復訳】 「霊の中で貧しい人たちは幸いである.天Sの王国は彼らのものだからである。
【KG訳】 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
【SK訳】 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
【SKD訳】 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
ギリシャ語
Μακάριοι οἱ πτωχοὶ τῷ πνεύματι, ὅτι αὐτῶν ἐστιν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν.
Strong's Concordance
basileia: kingdom, sovereignty, royal power
Original Word: βασιλεία, ας, ἡ
Part of Speech: Noun, Feminine
Transliteration: basileia
Phonetic Spelling: (bas-il-i'-ah)
Definition: kingdom, sovereignty, royal power
Usage: kingship, sovereignty, authority, rule, especially of God, both in the world, and in the hearts of men; hence: kingdom, in the concrete sense.
解説
『「天の王国」は、もっぱらマタイによる福音書で使われている言葉であり、天の王国が、他の三つの福音書で使われている神の王国とは違うことを示しています(参照、40-41ページのチャート)。神の王国は、永遠の過去から永遠の未来にわたる神の一般的な支配を言っています。それは、この世の基の置かれる前の、初めのない永遠、選ばれた父祖たち(アダムのパラダイスを含む)、旧約におけるイスラエルの国、新約の召会、来たるべき千年王国(天的部分である天の王国の実現と、地的部分であるメシア王国を含む)、終わりのない永遠における新エルサレムを伴う新天新地を含みます。天の王国は、神の王国の中の特別な部分であり、今日の召会と来たるべき千年王国の天的部分だけを含みます。ですから天の王国は、神の王国の一部分として、新約の中で、特に他の三つの福音書で、「神の王国」とも呼ばれています。一般的には、神の王国は、旧約においてイスラエルの民と共にすでに存在していました(21:43)。天の王国は、特別であり、バプテスマのヨハネが来た時にはまだ来ておらず、近づいていたにすぎませんでした(3:1-2.11:11-12)。
マタイによる福音書によれば、天の王国に関して、その実際、外観、実現の三つの面があります。天の王国の実際は、その天的で霊的な性質における、天の王国の内容です。これは、第5章から第7章で、新しい王によって山の上で啓示されています。天の王国の外観は、名目上の天の王国の外面の状態で、第13章で王によって海辺で啓示されています。天の王国の実現は、天の王国が力をもって実際に到来することで、第24章から第25章で、王によってオリブ山で明らかにされています。天の王国の実際と外観は、今日の召会と共にあります。天の王国の実際は、正当な召会生活であり(ローマ14:17)、天の王国の外観の中にあります。この天の王国の外観は、いわゆるキリスト教世界です。天の王国の実現は、第13章43節で父の王国と呼ばれている、来たるべき千年王国の天的部分です。千年王国の地的部分はメシア王国です。このメシア王国は、第13章41節で人の子の王国と呼ばれており、修復したダビデの幕屋、ダビデの王国です(使徒15:16)。千年王国の天的部分、すなわち力をもって現れる天の王国において、勝利を得た信者たちは、千年の間キリストと共に支配します(啓20:4、6)。千年王国の地的部分、すなわち地上のメシア王国において、イスラエルの救われた残された者[レムナント]は祭司となって、諸国民に神を礼拝することを教えます(ゼカリヤ8:20-23)。
わたしたちが霊の中で貧しくあれば、天の王国はわたしたちのものです。わたしたちは今日、召会時代において、その実際の中におり、王国時代において、その実現にあずかります。』(マタイ5 :3フットノート 4)