すべてを含むキリスト(1)導入の言葉

第 1 章 すべてを含むキリスト ― 導入の言葉

 カナンの地はすべてを含むキリストの予表です。このカナンの地の上に建造された都と宮は、キリストの豊満、すなわち彼のからだ、召会の予表です。ですから、すべてを含むキリストがあり、そこから、またその上にキリストの豊満、召会が建造されます。それはすべてを含むキリストと、キリストのからだ、召会であるキリストの豊満です。

キリストがわたしたちのすべての実際

 キリストはすべてのものの実際です。聖書によれば、わたしたちが見て、触れ、享受しているすべての形ある物、物質的な物は真の物ではありません。これらはただ影、実体の象徴です。真の物とは、キリストご自身にほかなりません。キリストはわたしたちの真の食物、真の水、真の光であり、わたしたちのすべての実際です。キリストがわたしたちの真の命です。もしあなたがキリストを持っていないなら、命を持っていません。
 キリストはまたわたしたちの真の地です。旧約で主は常に一画の地に言及しておられます。主はアブラハムを召し出して、カナンの地にもたらすと告げられました。創世記第 12章から旧約の終わりまで、主は多くの時、繰り返し強調して地に言及しておられます。

神の永遠のご計画の中心は、地とその宮と都である

 旧約の中心は都の内側の宮です。都の内側のこの宮は、あの一画の地に建造されました。そして宮と都が建造されたこの一画の地が、旧約聖書の中心そのものです。それはまた神の思いの中心そのものでもあります。神の思いの中にはその宮と都を伴う一画の地があるのです。わたしたちは聖書を知り、そして神からの光を持つなら、神の永遠のご計画の中心は、予表的に言えば、地とその宮と都であることを認識します。旧約は、創世記第 1 章から、常に地を中心とし、常に地に関することを述べています。

すべての事が、一画の地としてのキリストの中で起こった

 創世記第 1 章の記録によれば、神の創造の目的また目標は地の回復にほかなりません。神は地を回復して、そこで何かを行なうことを願われました。地には大混乱があり、荒廃と空虚と深い水がその上にあって、深い淵の下に埋められていました。そこで神は入って来て働き、地を回復し始められました。神は光と暗やみとを分離し、上にある水と下にある水を分離されました。そして彼は水と地を分離され、地が水から出て来ました。これは三日目でした。主イエス・キリストが死の淵から出て来られたのは三日目でした。ですから、これが予表です。三日目に神は地を死の水から出されたのです。この予表からあなたは、地が何であるかを認識することができます。地はキリストの予表です。そして地が水から出て来た後、あらゆる種類の命(青草、種をもたらす草類、実を結ぶ果樹)が存在するようになりました。キリストの復活の後、主は死から連れ出された後、豊かな命を生み出されました。彼は命の産物に満ちていました。そして命に満ち満ちたこの地で、人が神のかたちにしたがって創造され、神の姿を持ち、この人に神の権威が託されました。主が死から出て来られた後、豊かな命が生み出され、この命の豊満の中で、神の代行であり、神のかたち、神の姿、神の権威を持った人が創造されました。このすべての事が、一画の地としてのキリストの中で起こりました。

神がわたしたちのために備えられたすべては、キリストに集中している

 地は、わたしたちのすべてとしてのキリストの象徴です。神が人類のために備えられたもののすべてが地に集中しています。人が創造されたのは、地で生活して神のすべての備えを享受するためです。人に関するものすべては、キリストの予表である地に集中しています。神がわたしたちのために備えられたすべては、キリストに集中しています。神は彼の民を約束された地に導かれ、神の民はそこにとどまり、そのすべての豊富を享受しました。その結果は、都と宮が存在するに至ることでした。都と宮はこの地を享受した結果です。都は神の権威、神の王国の中心であり、宮は神の家、神の住まいの中心です。

わたしたちがキリストを一画の地として所有し、彼のすべての豊富を享受するなら、神の王国を伴う召会、都の中の宮が出現する

 神の王国と神の家は地を享受した結果です。神の民がこの地をある程度まで享受するとき、何かが存在するに至ります。それは神の権威と神の臨在、あるいは、神の王国と神の家です。わたしたちがキリストを一画の地として所有し、彼のすべての豊富を享受するなら、ある程度の後、神の王国を伴う召会、すなわち都の中の宮が出現します。このすべての事は、旧約と新約に適用されます。旧約と新約の両方に啓示されている神の意図は、キリストがわたしたちの地であるべきであるということです。わたしたちはキリストのすべての豊富を享受する立場を持っています。神はわたしたちにこの立場を与えてくださいました。彼の豊富をある程度まで享受した後、あるものが出現します。それは神の王国と神の家、神の王国を伴う召会です。これが神の永遠のご計画の中心思想です。

キリストはわたしたちがその中で歩くことができる領域、地である

 あなたはキリストを持っています。しかしあなたが持っているキリストをは小羊でしょうか、それとも地でしょうか? イスラエルの民はみな過越のその日にエジプトで小羊を持っていましたが、残念なことに、地に入った者はほとんどいませんでした。あの一画の地を所有した者はほとんどいませんでした。
 コロサイ人への手紙第 2 章は、わたしたちがすでにキリストの中に根ざしていると告げています(7 節)。わたしたちがすでにキリストの中に根ざしているので、わたしたちにとってキリストは地であり、キリストは土壌です。神の目的は、わたしたちがキリストを少しだけ享受することではなく、彼がわたしたちにとってすべてを含む方であるべきです。
 「あなたがたはキリスト、主なるイエスを受け入れたのですから、……彼の中で歩きなさい」(コロサイ 2:6-7)。彼は領域、範囲であって、わたしたちはその中で歩きます。彼はただ食物や水であるだけでなく、わたしたちがその中で歩くことができる領域、地です。わたしたちは彼の中で歩かなければなりません。彼はわたしたちの地であり、彼はわたしたちの土地であり、彼はわたしたちの王国です。彼の中で歩きなさい。

何を行なおうとしても、何を享受し経験しようとしても、キリストがまさにそのものであることを認識しなければならない

 日ごとにわたしたちは多くの言葉を語っています。しかしわたしたちのすべての言葉はキリストでなければなりません。もしキリストを語っていないなら、無意味なことを語っているのです。わたしたちはこう言う程度にまでキリストを経験する必要があります、「主よ、もしわたしが言おうとしていることがあなたからでないなら、わたしは言いません。わたしは自分の口に十字架を適用します。わたしの語ることに十字架を適用して、わたしの言葉においてあなたによって新しくされます」。
 わたしたちは食べようとするときはいつも、わたしたちの内側で、キリストがわたしたちの真の食物であるという確認を直ちに持つべきです。わたしたちは休もうとするとき、キリストがわたしの真の安息であると言わなければなりません。わたしたちは何を行なおうとしても、何を享受し経験しようとしても、キリストがまさにそのものであることを認識しなければなりません。

日ごとに訓練する

 このようにして日ごとに訓練しようとしてください。キリストをあなたの食物、光、住まいとするだけでなく、すべてを含む地としなさい。キリストがあなたにとってすべてを含む方であることを、あなたは認識しなければなりません。キリストを経験し、すべてのことで彼を適用することを実行しなければなりません。そのとき、何かがあなたから出て来ます。そのあるものとは、神の王国の中の召会の建造、すなわち都の中の宮です。これが神の定められた御旨です。(「すべてを含むキリスト」、第 1 章より抜粋)


JGW 日本福音書房の許可を得て掲載しております。

さらにお読みください:回復訳聖書 創世記 1:9 のフットノート1、コロサイ 2:6-7 のフットノート(6節の1、7 節の1と3)

創世記 1:9 のフットノート1
創世記1:9 また、神は言われた、「天の下の水は一つ所に集まれ.そして乾いた地が現れよ」.すると、そのようになった。

 乾いた地が現れることは、命を生み出すための第六の条件です。これは第三日に起こり、復活の日と一致します(Ⅰコリント15:4)。聖書で海は死を代表し、地はキリストを代表し(参照、申8:7のフットノート1)、彼は命を生み出す源です。地が現れた後、あらゆる種類の命(植物の命、動物の命、さらには人の命)が地から生み出されました(11-12、24-27節.2:7)。これは、神聖な命がそのすべての豊富を伴って、キリストから出て来ることを予表します。第三日に、キリストは復活の中で死から出て来て、召会を構成するために命を生み出しました(ヨハネ12:24.Ⅰペテロ1:3)。

コロサイ2:6-7とフットノート

コロサイ2:6-7 それで、あなたがたはキリスト、主なるイエスを受け入れたのですから、すでに彼の中に根ざしており、そして建造されながら、また教えられたように信仰において堅固にされながら、感謝にあふれて、彼の中で歩きなさい。

 キリストは、聖徒たちの享受のために割り当てられた分け前です(1:12)。彼の中へと信じるとは、彼を受け入れることです。彼はすべてを含む霊として(Ⅱコリント3:17)、わたしたちの中へと入り、わたしたちの霊の中に住み(Ⅱテモテ4:22)、わたしたちのすべてとなられます。(コロサイ2:6フットノート1)

 わたしたちは植物のように、生ける有機体です。わたしたちは、土壌、地であるキリストの中に根ざしました。それは彼のすべての豊富を、栄養分として吸収するためです。これらの豊富は、わたしたちが成長し、建造される要素、実質となります。根ざすのは、命の成長のためです。この根ざすことは、すでに成就されました。建造されるのは、キリストのからだを建造するためです。これは今なお進行中です。これらの事はいずれも、キリストの中でです。(コロサイ2:7フットノート1)

 わたしたちはキリストを受け入れたのですから、彼の中で歩くべきです。歩くとは、生き、行動し、振る舞い、存在することです。わたしたちはキリストの中で歩き、生き、行動して、彼の豊富を享受すべきです。それは、イスラエルの子たちが良き地の中で生活し、その豊富な産物すべてを享受したようにです。今日、良き地は、すべてを含む霊としてのキリストです(ガラテヤ3:14)。彼はわたしたちの霊の中に住んで(Ⅱテモテ4:22.ローマ8:16)、わたしたちの享受となられます。この霊にしたがって歩くことは(ローマ8:4.ガラテヤ5:16)、新約における中心的で重要な点です。(コロサイ2:7フットノート3)

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