霊の中で(ἐν<en>・πνεύματι<pneumati>)―使徒19:21
【回復訳】 使徒19:21 さて、これらの事があった後、パウロはマケドニアとアカヤを通ってエルサレムへ行くことを、霊の中で決意して言った、「わたしはそこに行った後、ローマをも見なければならない」。
新改訳聖書は「en tō pneumati」を「御霊の示しにより」と訳しています。その他の聖書は「en tō pneumati」を無視し、「決心をし」「決心し」「心に決め」などと訳しています。日本語訳聖書の比較はこちらのサイトから参照いただけます。
ギリシャ語
Ὡς δὲ ἐπληρώθη ταῦτα, ἔθετο ὁ Παῦλος ἐν τῷ πνεύματι διελθὼν τὴν Μακεδονίαν καὶ Ἀχαΐαν πορεύεσθαι εἰς Ἱεροσόλυμα, εἰπὼν ὅτι Μετὰ τὸ γενέσθαι με ἐκεῖ δεῖ με καὶ Ῥώμην ἰδεῖν.(Nestle 1904)
Strong's Concordance
en: in, on, at, by, with
Original Word: ἐν
Part of Speech: Preposition
Transliteration: en
Phonetic Spelling: (en)
Definition: in, on, at, by, with
Usage: in, on, among.
Strong's Concordance
pneuma: wind, spirit
Original Word: πνεῦμα, ατος, τό
Part of Speech: Noun, Neuter
Transliteration: pneuma
Phonetic Spelling: (pnyoo'-mah)
Definition: wind, spirit
Usage: wind, breath, spirit.
解説
『主なる霊がパウロの霊の中に住んでおられたので(Ⅱテモテ4:22.ローマ8:10-11)、パウロは主なる霊の導きにしたがって決意したに違いありません。第17章16節のノート1を参照。』(回復訳聖書 使徒19:21フットノート2)
主があなたの霊と共におられますように。恵みがあなたと共にありますように。
IIテモテ4:22
しかし、キリストがあなたがたの中におられるなら、体は罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに命です。そして、イエスを死人の中から復活させた方の霊が、あなたがたの中に住んでいるなら、キリストを死人の中から復活させた方は、あなたがたの中に住んでいる彼の霊を通して、あなたがたの死ぬべき体にも、命を与えてくださいます。
ローマ8:10-11
補足
人類は神によって創造され生み出された
聖書によれば、神は人を創造されました。創造主として神は人の源です。創世記第2章7節は言います、「エホバ・神は土のちりで人を形づくり、その鼻の中に命の息を吹き込まれた.すると人は生きた魂となった」。神はまずちりを用いて人の物質の体を形づくり、そしてその体に命の息を吹き込み、その体を生きたものとならせました。その結果、人は生きた魂となりました。ここの創世記第2章7節で、人の命が神から来たことを強く示しています。この意味で人は神によって創造されただけでなくまた神によって生み出されました。聖書で、神は命の息を動物の中に吹き込まれたとは告げられていません。人を創造したときだけ、神は人の中に命の息を吹き込まれました。箴言第20章27節は創世記第2章7節で「息」と訳された同じへブル語を「霊」に用いています。これは、神によって人の中に息を吹き込まれた命の息が、人の霊の要素であることを啓示しています。実は、この命の息が人の霊となりました。わたしたちがここで強調している点は、人が神によって生み出されたことを、聖書が明らかに示しているということです。わたしたちは、創造において人が神から生まれたとは言いませんが、人は神によって生み出されたと確信をもって言います。神は人の体を形づくり、人の中に命の息を吹き込まれると、人は生きた魂となりました。このようにして、人は神によって生み出されました。この意味において、人は神の種族です。
信者たちは神から生まれた
聖書はまた、わたしたちが悔い改めて主イエスを信じるとき、神から生まれることを啓示しています。神から生み出されることは一つの事です。神から生まれることは別の事です。すべての人は、神から生み出されたという意味で神の種族です。しかし信者たちは、神から生まれたという意味で神の子たちです。神の種族、神から生み出された人が、神聖な命と神聖な性質を持っているということは、聖書の中に何も示されていません。しかし新約聖書は、神から生まれた信者たちが神聖な命を持っており、神聖な性質にあずかる者であると言っています(Ⅱペテロ1:4)。ですからわたしたちは神の種族と神の子を区別しなければなりません。すべての人は神から生み出された神の種族ですが、信者たちは再生を通して神から生まれた神の子たちです。これはヨハネによる福音書第1章12節と13節ではっきり強調されています。「しかし、すべて彼を受け入れた者、すなわち、御名の中へと信じる者に彼は神の子供たちとなる権威を与えられた.これらの人は血からではなく、肉の意志からでもなく、人の意志からでもなく、神から生まれたのである」。
神にあって生き言動き、存在する二つの方法
使徒行伝第17章28節と29節でパウロは神の種族としてわたしたちは神にあって生き、動き、存在していると言います。どういう意味ですべての人が神にあって生き、動き、存在しているのでしょうか?人の命が最初の人類の中に吹き込まれた息から神によって生み出されたことは、ある意味でそのとおりです。わたしたちがそのような人の命を持っているので、すべての人は神にあって生き、動き存在しているのです。しかし神から生まれ、神の命を持ち、神聖な性質を持っている信者たちが神にあって生き、動き、存在していることは、神によって人の中に吹き込まれた息を持っているという意味においてであるだけでなく、また神聖なパースンの中で行動するという意味においてでもあります。
すべての人が神の種族であるのは、神からの命の息を持っているという意味においてであるという事実に、わたしたちは印象づけられる必要があります。ですから、彼らはこの意味において神にあって生き、動き存在しています。しかし信者たちは神から生まれ、神ご自身を彼らの命と性質として内側に持っています。こうして、わたしたちが神にあって生き、動き、存在していることは、神からの命の息を持っているという意味においてだけでなく、神のパースンの中で行動しているという意味においてもです。すべての人は神から生み出された種族ですが、キリストを信じるわたしたちは、神によって再生された神の子たちです。わたしたちはみな、神の種族と神の子の区別について、とてもはっきりしている必要があります。
(新約ライフスタディ 使徒行伝(二)第四七編より抜粋)