わたしは霊の中で縛られて、エルサレムへ行こうとしています:回復訳聖書と他の日本語訳との比較(163)

霊(πνεύματι<pneumati>)―使徒20:22

【回復訳】 使徒20:22 そして今や、見よ、わたしはの中で縛られて、エルサレムへ行こうとしています.そこで何に出遭うか、わたしにはわかりません.

聖書協会共同訳、フランシスコ会訳、岩波訳、新共同訳はここの「pneumati」を「霊」と訳しています。前田訳、塚本訳、口語訳は「御霊」「み霊」などと訳し、新改訳、文語訳は「心」と訳しています。日本語訳聖書の比較はこちらのサイトから参照いただけます。

ギリシャ語

καὶ νῦν ἰδοὺ δεδεμένος ἐγὼ τῷ πνεύματι πορεύομαι εἰς Ἱερουσαλήμ, τὰ ἐν αὐτῇ συναντήσοντά ἐμοὶ μὴ εἰδώς,(Nestle 1904)

Strong's Concordance
pneuma: wind, spirit
Original Word: πνεῦμα, ατος, τό
Part of Speech: Noun, Neuter
Transliteration: pneuma
Phonetic Spelling: (pnyoo'-mah)
Definition: wind, spirit
Usage: wind, breath, spirit.

こちらのサイトを引用させて頂きました:Bible Hub

解説

『パウロの再生された霊。彼はこの霊の中で神に仕えました(参照、17:16のノート1)。パウロは彼の霊、主なる霊に結合された霊の中で(Ⅰコリント6:17)、エルサレムで何かが自分に起こるであろうと、前もって感じました。聖霊も、このことを彼に証しされました(23節)。』(回復訳聖書 使徒20:22フットノート2

しかし、主に結合される者は、主と 一つ霊になります。

Iコリント6:17

ただ聖霊が至る所の町々で、わたしに対して厳かに証しして告げているのは、監禁と患難がわたしを待っている、ということです。

使徒20:23

補足

霊の中で縛られてエルサレムへ行く

22節でパウロは続けて言います、「そして今や、見よ、わたしは霊の中で縛られてエルサレムへ行こうとしています.そこで何に出遭うか、わたしにはわかりません」。すでに見てきたように、パウロは本来ギリシャのアカヤからシリヤを通ってエルサレムへ行くつもりでした(使徒19:21、Iコリント16:3-7)。彼に対するユダヤ人の陰謀のゆえに、彼は進路を北のマケドニアに変え、そこからエルサレムに戻りました。パウロはユダヤ人の陰謀に気づき、それに苦しみました(19節)。これがおそらく、彼が霊の中で縛られて、エルサレムへ行こうとした原因であったでしょう。22節の霊はパウロの再生された霊を指し、彼は霊の中で神に仕えました。彼の霊、主なる霊に結合された霊の中で(Iコリント6:17)、パウロは何かがエルサレムで自分に起こると前もって感じており、聖霊はこれを彼に証しされました(23節)。

聖霊の証しは単に予言、予告であって、パウロはこれを命令とするべきではなく、警告とするべきだった

再び第20章22節を23節と共に考えましょう。「そして今や、見よ、わたしは霊の中で縛られてエルサレムへ行こうとしています.そこで何に出遭うか、わたしにはわかりません.ただ聖霊が至る所の町々で、わたしに対して厳かに証しして告げているのは、監禁と患難がわたしを待っている、ということです」。パウロはエルサレムで何に出遭うかわかりませんでしたが、一つの事、すなわち監禁と患難が自分を待っていると、聖霊が彼に対して厳かに証しされたことを知っていました。聖霊の証しは単に予言、予告であって、命令ではありませんでした。ですから、彼はこれを命令とするべきではなく、警告とするべきでした。パウロはエルサレムで何が待っているのか、正確にはわかりませんでしたが、聖霊の警告を通して、監禁と患難が彼を待っていることを知りました。

(新約ライフスタディ 使徒行伝(二)第五三編より抜粋)

その霊はさらに進んで、からだの何人かの肢体を通してエルサレムに行かないようにと告げられた。からだの生活を実行するときパウロはこの言葉をかしらからの言葉として取り、それに従うべきだった

パタラでパウロと彼の一行はピニケに渡る船を見つけたので、乗り込んで出帆しました(使徒21:2)。彼らはシリヤに渡ってツロに入港しました。「わたしたちは弟子たちを捜し出して、そこに七日間、滞在した.彼らはその霊を通して、エルサレムに足を踏み入れないようにと、パウロに告げた」(4節)。第20章23節で、聖霊はエルサレムにおいて監禁と患難がパウロを待っていると彼に知らされました。これについての聖霊の証しは単に予言、予告であって、命令ではありませんでした。ですから、パウロはそれを命令と取るべきではなく、警告と取るべきでした。今や第21章4節で、その霊はさらに進んで、からだの何人かの肢体を通してエルサレムに行かないようにと告げられました。からだの生活を実行するときパウロはこの言葉をかしらからの言葉として取り、それに従うべきでした。

使徒行伝第21章10節と11節は言います、「わたしたちがそこに何日も滞在していた間に、アガボという名の預言者が、ユダヤから下って来た。彼はわたしたちの所に来ると、パウロの帯を取り、自分の足と手を縛って言った、『聖霊がこう言われます、「エルサレムのユダヤ人は、この帯の持ち主である人をこのように縛り、彼を異邦人の手に引き渡します」』」。ここで聖霊は再びパウロに、何がエルサレムで彼に振りかかるかを、直接にではなく、からだの肢体を通して告げました。これは再び予言の性質の警告であり、命令ではありませんでした。それは再びかしらがからだを通して語られたことであり、パウロはからだの生活の実行の中でそれに聞き入るべきでした。

(新約ライフスタディ 使徒行伝(二)第五六編より抜粋)

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