勝利者だけが千年王国で永遠の命の祝福の前味わいを享受する:「勝利を得る者には、神のパラダイスにある命の木から食べさせよう」(啓2:7)
啓示録2:7 耳のある者は、その霊が諸召会に言われることを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにある命の木から食べさせよう』。
ここで語られている神のパラダイスには命の木があります。ですから、このパラダイスは将来の新エルサレムであるに違いありません。なぜなら、来たるべき新エルサレムには命の木があるからです(啓22:2)。新エルサレムとそのすべての祝福は神によってわたしたちのために備えられており、それはわたしたちが新天新地で永遠において享受するためです。第二章七節で主は、新エルサレムで命の木の実を食べることは、勝利を得た信者たちに対する褒賞であると約束されました。聖書は信者たちが千年王国において褒賞を受けると教えています。ですから、これはまた、主が千年王国において、新エルサレムにおける命の木の実を、勝利を得た信者たちに対する褒賞として与えることを示しています。すべての信者は新エルサレムとその祝福を新天新地で享受しますが、勝利者だけが新エルサレムにおける命の木の実の前味わいを千年王国の間に持つのです。命の木の実を食べるとは、永遠の命の祝福を享受すること、すなわち永遠の命そのものを享受することです。命の木の実の前味わいを持つとは、永遠の命の祝福の初期の享受を持つことです。この永遠の命の祝福の享受は、救われた者がみな新天新地であずかるものです。しかしながら、勝利者だけが千年王国で永遠の命の祝福の前味わいを享受します。新天新地が来る前に、主は千年王国において、まず永遠の命の祝福の新鮮さ、すなわち命の木の実の新鮮さを褒賞として勝利者たちに、前味わいまた初期の享受として与えられます。こういうわけで、来たるべき時代において永遠の命を享受することは、今の時代において永遠の命を得ることや永遠において永遠の命を享受することとは異なります。