主は千年王国における永遠の命の享受を、今日ご自身のためにすべてのものを捨てる者たちに対する褒賞として定められた
来たるべき時代において、すなわち千年王国の時に命を得ることは、王国時代における褒賞の事柄とだけ関係があります。それはわたしたちの永遠の救いとは関係がありません。
マルコ10:29-30 イエスは言われた、「まことに、わたしはあなたがたに言う.わたしのため、また福音のために、家、あるいは兄弟、あるいは姉妹、あるいは母、あるいは父、あるいは子供、あるいは畑を捨てた者で、今の時に、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑の百倍を迫害と共に受け、そして来たるべき時代に、永遠の命を受けない者はない。
これらの節で、主イエスは今の時代と来たるべき時代について語りました。今の時代とは今日の時代です。それは、わたしたちが生きている恵みの時代です。来たるべき時代は次の時代です。それは来たるべき千年王国の時代です。主は約束しましたが、もしわたしたちが主のため、また福音のためにすべてを捨てるなら、わたしたちは来たるべき時代に永遠の命を得ます。このことが示しているのは、来たるべき時代に永遠の命を得ることは褒賞であり、そのためにわたしたちは代価、すなわち主のため、また福音のためにすべてを捨てるという代価を払わなければならないということです。これは信じて直ちに永遠の命を得ることとは明らかに異なります。信じることは代価を払うことをだれにも要求しませんが、これらの節における、すべてのものを捨てるという要求は極めて高い代価です。以前、わたしたちは信じることによって永遠の命を得ましたが、これらの節ではすべてのものを捨てた場合に限り、来たるべき時代に永遠の命を得るのです。ですから、この得ることは永遠の救いとは関係がありません。そうではなく、それは来たるべき王国時代におけるわたしたちの褒賞と関係があります。これは、これらの節で語られている永遠の命が、主のため、また福音のためにすべてのものを捨てることによって得られるからであり、またそれが来たるべき時代に得られるからです。聖書の原則によれば、来たるべき時代にそれを受けるために今、代価を払うようにとわたしたちに要求するものは何であれ、千年王国における褒賞と関係があります。ですから、来たるべき時代に永遠の命を得ることは、この時代にすべてのものを捨てることをわたしたちに要求するので、それは主が千年王国において与える褒賞と関係があるに違いありません。このことは見せていますが、主は王国時代を永遠の命を享受する一つの期間として、ご自身に忠信に従う者たちに対する褒賞として、特別に定められたのです。すべての信者は主を信じるとすぐに、今の時代に主の永遠の命を得て、享受します。しかしながら、代価を払い主に忠信に従う者たちだけが、来たるべき時代に、すなわち千年王国の時代に主の永遠の命を享受します。言い換えると、信じる者は今の時代に永遠の命を得て、今日それを享受することができますが、今の時代にすべてのものを捨てて、忠信に主に従う者だけが来たるべき時代に、すなわち千年王国の時代に主の永遠の命を得て、享受します。主は千年王国における永遠の命の享受を、今日ご自身のためにすべてのものを捨てる者たちに対する褒賞として定められました。