【わたしたちの体の救い】「わたしたちは望みの中で救われた」(ローマ8:24)
ローマ8:23後半-24 ・・・子たる身分、すなわち、わたしたちの体の贖いを、熱心に待ち望んでいるのです。なぜなら、わたしたちは望みの中で救われたからです。しかし、見える望みは望みではありません.見ているものを、だれが望むでしょうか?
この節の文脈によれば、「救われた」はわたしたちの霊を指しているのではなく、わたしたちの体の贖いを指しています。わたしたちは信じるときに永遠に救われ、わたしたちの霊の中で永遠の命を得ます。わたしたちはすでに得ているものを望む必要はありません。しかしながら、わたしたちの体の贖いは、わたしたちが望むことを要求します。なぜなら、わたしたちは主の再来の日を待ち望まなければならないからです。わたしたちは信じた時、永遠の救いを得、わたしたちの霊は生かされました。しかしながら、わたしたちの体は依然として旧創造の中でうめいており、産みの苦しみをしています。旧創造は病気や老化の苦難を伴う朽ち果てる奴隷状態の下にあります。主が再来するとき、彼は旧創造の奴隷状態の下にあるわたしたちの体を変貌させて、それを新創造の栄光の自由の中へともたらします。わたしたちの体の救いは将来に起こります。
【わたしたちの体の救い】「わたしたちの救いは、わたしたちが信じた時よりも、近づいている」(ローマ13:11)
ローマ13:11 さらに、あなたがたはこの時を知っています.今はあなたがたがすでに眠りから覚めるべき時なのです.なぜなら今、わたしたちの救いは、わたしたちが信じた時よりも、近づいているからです。
ここで語られている救いは、わたしたちの体の救いを指しているに違いありません。それが永遠の救いを指していることはあり得ません。なぜなら、わたしたちは信じた瞬間にわたしたちの霊が生かされた時、この救いを得たからです。わたしたちの体の救いは将来に起こります。こういうわけで、それはわたしたちが信じた時よりも近づいているのです。主の再来は今日、わたしたちの永遠の救いの瞬間よりも、わたしたちに近づいています。ですから、わたしたちの体の救い、わたしたちの体の贖いは、わたしたちが信じた時よりも、近づいています。