バプテスマされた(ἐβαπτίσθη<ebaptisthē>)―使徒9:18
【回復訳】 使徒9:18 すると、直ちにその目からうろこのようなものが落ちて、サウロは視力を受け、立ち上がってバプテスマされた。
原文の「ebaptisthē」は名詞ではなく動詞です。
他の日本語訳は「ebaptisthē」を「洗礼(名詞)を受け(動詞)」、「バプテスマ(名詞)を受け(動詞)」と訳しています。 日本語訳聖書の比較はこちらのサイトから参照いただけます。
ギリシャ語
καὶ εὐθέως ἀπέπεσαν αὐτοῦ ἀπὸ τῶν ὀφθαλμῶν ὡς λεπίδες, ἀνέβλεψέν τε, καὶ ἀναστὰς ἐβαπτίσθη,(Nestle 1904)
Strong's Concordance
baptizó: to dip, sink
Original Word: βαπτίζω
Part of Speech: Verb(動詞)
Transliteration: baptizó
Phonetic Spelling: (bap-tid'-zo)
Definition: to dip, sink
Usage: lit: I dip, submerge, but specifically of ceremonial dipping; I baptize.
解説
『これは、ピリポがその宦官に、水のバプテスマを宣べ伝えたことを示します。この福音の事例では、水のバプテスマが特に強調されましたが、霊のバプテスマについては何も述べられませんでした。これは、わたしたちが、霊のバプテスマに注意を払うだけでなく、信者たちがキリストの死と復活に一体化されることを表徴する水のバプテスマ(ローマ6:3-5.コロサイ2:12)に注意を払わなければならないことを、強く示しています。霊のバプテスマは、本質上では命において、エコノミー上では力において、信者がキリストと結合される実際を生み出します。水のバプテスマは、その霊の実際を信者たちが確認することです。両方とも必要であり(参照、10:47)、互いに置き換えることはできません。キリストを信じるすべての人は、正しく両方を持つべきです。それは、イスラエルの子たちが(その霊を表徴する)雲の中と(水を表徴する)海の中でバプテスマされたのと同じです(Ⅰコリント10:2)。マルコ第1章8節のノート1、ヨハネ第3章5節のノート2、Ⅰヨハネ第5章6節のノート1を参照。』(回復訳聖書 使徒8:36フットノート1)
補足
『信じること(参照、1:15のノート3)は、奴隷・救い主を受け入れることであり(ヨハネ1:12)、これは罪の赦しのためだけでなく(使徒10:43)、再生のためでもあります(Ⅰペテロ1:21、23)。信じた者たちは、三一の神との有機的な結合の中で(マタイ28:19)、神の子供たち(ヨハネ1:12-13)、キリストの肢体となります(エペソ5:30)。バプテスマされることは、奴隷・救い主の死を通して葬られ、旧創造を終わらせることによって、また、奴隷・救い主の復活を通して復活させられ、神の新創造となることによって、これを確認することです。そのようなバプテスマは、ヨハネによる悔い改めのバプテスマよりはるかに進んでいます(1:4.使徒19:3-5)。信じることとバプテスマされることは、神の完全な救いを受けるための、一つの完全な段階の二つの部分です。信じないでバプテスマされることは、単にむなしい儀式にすぎません。また信じてもバプテスマされないなら、内側で救われるだけで、外側の確証がありません。これら二つは並行すべきです。さらに、水のバプテスマには、霊のバプテスマが伴うべきです。それは、イスラエルの子たちが、海(水)の中と雲(その霊)の中でバプテスマされたようにです(Ⅰコリント10:2.12:13)。』(回復訳聖書 マルコ16:16フットノート1抜粋)