入る(εἰσέρχομαι<eiserchomai>―マタイ19:17)
【回復訳】 イエスは彼に言われた、「なぜわたしに、善いことについて尋ねるのか? 善いのはただおひとりである。もしあなたが命に入りたいなら、戒めを守りなさい」。
【KG訳】 イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。
【SK訳】 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
【SKD訳】 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
ギリシャ語
ὁ δὲ εἶπεν αὐτῷ Τί με ἐρωτᾷς περὶ τοῦ ἀγαθοῦ; εἷς ἐστιν ὁ ἀγαθός· εἰ δὲ θέλεις εἰς τὴν ζωὴν εἰσελθεῖν, τήρει τὰς ἐντολάς.(Nestle 1904)
Strong's Concordance
eiserchomai: to go in (to), enter
Original Word: εἰσέρχομαι
Part of Speech: Verb
Transliteration: eiserchomai
Phonetic Spelling: (ice-er'-khom-ahee)
Definition: to go in (to), enter
Usage: I go in, come in, enter.
解説
『ここの命に入るとは、天の王国に入ることです(23節)。天の王国は、神の永遠の命の領域です。ですから、わたしたちがその中に入る時、神の命の中に入るのです。これは、救われることとは異なります。救われるとは、神の命がわたしたちの中に入って、わたしたちの命となることです。天の王国に入るとは、神の命の中に入って、神の命の豊かさを享受することです。前者は、贖われ、聖霊によって再生され、こうして神の命を受けることです。後者は、神の命によって生き、歩むことです。一方は命の事柄であり、もう一方は生活の事柄です。』(マタイ19:17フットノート 3)
『マタイによる福音書で永遠の命を持つことと、ヨハネによる福音書で永遠の命を持つことには、違いがあります。マタイは王国についてであり、ヨハネは命についてです。ヨハネにおいて、永遠の命を持つというのは、人が神の非受造の命をもって救われ、今から永遠にわたって、この命によって生きることです。マタイにおいて、永遠の命を持つというのは、この時代に天の王国の実際にあずかり、来たるべき時代に王国の実現にあずかることです。そのようにして、神の永遠の命をさらに豊かに享受するのです。』(マタイ19:16フットノート 1)
『[戒めを守ること]は、救われるための必要条件ではありません。それは、天の王国に入ることと関係があります。天の王国の憲法によれば、そこに入ることは、古い律法の標準だけでなく、王が与えた補足の新しい律法の水準にも、応じることを要求します(5:17-48)。救いは信仰だけを要求しますが、天の王国は超越した義を要求します。この義は、古い律法と、天の王が与えた補足の律法を守ることから来る結果です。』(マタイ19:17フットノート 4)