永遠の救い・その方法【呼び求めること】「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」:聖書の重要な真理【救い】(6)

救いの方法【呼び求めること】「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」

ローマ10:13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」からです。

 人は主を信じるとき、自然に主を呼び求めます(ローマ10:14)。わたしたちは主を見ることはできませんが、彼の御名を呼び求めることはできます。主の御名は主ご自身です。ですから、主の御名を呼び求めることは、主ご自身を呼び求めることです。こういうわけで、主の御名を呼び求める者は救われるのです。

主の御名を呼び求めることは、新約で始まった新しい実行ではない

使徒2:21 そして、1主の2御名を呼び求める者はすべて3救われる』。

回復訳聖書 使徒2:21フットノート1

 主の御名を呼び求めることは、新約で始まった新しい実行ではありません。それは創世記第4章26節で、人類の第三世代であるエノスから始まりました。それは続いてヨブ(ヨブ12:427:10)、アブラハム(創12:813:421:33)、イサク(創26:25)、モーセとイスラエルの子たち(申4:7)、サムソン(士15:1816:28)、サムエル(サムエル上12:18詩99:6)、ダビデ(サムエル下22:47歴代上16:821:26詩14:417:618:3631:1755:1686:57105:1116:41317118:5145:18)、詩篇の作者アサフ(詩80:18)、詩篇の作者ヘマン(詩88:9)、エリヤ(列王上18:24)、イザヤ(イザヤ12:4)、エレミヤ(哀3:5557)、その他の人たち(詩99:6)によって行なわれました。彼らはみな旧約時代に、主の御名を呼び求めることを実行しました。またイザヤは神を追い求める者たちに、神を呼び求めるよう命じました(イザヤ55:6)。異邦人でさえ、イスラエルの預言者たちが常に神の御名を呼び求めたことを知っていました(ヨナ1:6列王下5:11)。北から神によって起こされた異邦人も、彼の御名を呼び求めました(イザヤ41:25)。神の民が彼を呼び求めることは、神の命令であり(詩50:15エレミヤ29:12)、神の願いでした(詩91:15ゼパニヤ3:9ゼカリヤ13:9)。それは、神の救いの泉から飲む喜ばしい方法(イザヤ12:3-4)、神の中で自ら楽しむ(ヨブ27:10)、すなわち神を享受する喜ばしい方法です。ですから、神の民は、彼を日ごとに呼び求めなければなりません(詩88:9)。ヨエルが新約のヨベルについて預言したのは、そのようなヨベルの実行でした(ヨエル2:32)。

 新約聖書では、主の御名を呼び求めることは、ここで最初に、ペンテコステの日に、ペテロによってヨエルの予言の成就として述べられました。この成就は、彼の選びの民が彼の新約のヨベルにあずかるために、神が彼らの上にすべてを含む霊をエコノミー上において注がれたことと関係があります。ヨエルの預言と神の新約のヨベルのためのその成就には、二つの面があります。神の側で、彼は復活したキリストの昇天の中で、彼の霊を注ぎ出されました。わたしたちの側で、わたしたちは昇天した主の御名を呼び求めます。主はすべてを成就し、すべてに到達し、すべてを獲得された方です。わたしたちキリストを信じる者が、すべてを含むキリストと、彼が成就し、到達し、獲得したすべてにあずかり、彼を享受するために、主の御名を呼び求めることは絶対に必要です(Ⅰコリント1:2)。神の新約エコノミーの中で、これは、わたしたちの完全な救いのために、わたしたちが手順を経た三一の神を享受することができる主要な実行です(ローマ10:10-13)。初期の信者たちは、これを至る所で実行し(Ⅰコリント1:2)、未信者たち、特に迫害者たちには、キリストを信じる者たちの目立つしるしとなりました(使徒9:1421)。ステパノは迫害を受けた時、主の御名を呼び求めました(使徒7:59)。その実行は、彼を迫害したサウロに強い印象を与えたことでしょう(使徒7:58-6022:20)。やがて不信のサウロは、彼らが主の御名を呼び求めたことをしるしとして、信者たちを迫害しました(9:1421)。サウロが主に捕らえられた直後、彼をキリストのからだの交わりへともたらしたアナニヤは、主の御名を呼び求めてバプテスマされ、そのように呼び求める者となったことを人に示すようにと、彼に命じました。テモテへの第二の手紙第2章22節で、パウロはテモテにあてた言葉の中で、初期には主を追い求める者たちがすべて、そのように呼び求めるのを実行したことを示しました。パウロが若い同労者テモテに同じことを行なうよう命じたのですから、疑いもなくテモテもこれを実行した一人でした。それは、テモテが彼と同じように主を享受するためでした。
 「呼び求める」のギリシャ語の言葉は、「上に」と「(名を)呼ぶ」から成っています。こうして、それは聞こえるように叫び、ステパノが行なったように、大声でさえ呼ぶことです(使徒7:59-60)。

わたしたちが「主イエスよ」と呼ぶ時、その霊を受ける

使徒2:21 そして、1主の2御名を呼び求める者はすべて3救われる』。

回復訳聖書 使徒2:21フットノート2

 名はパースンを意味します。イエスは主の御名であり、その霊は彼のパースンです。わたしたちが「主イエスよ」と呼ぶ時、その霊を受けます。

主を呼び求めることは、わたしたちが救われるためだけでなく、彼の豊富を享受するためでもある

使徒2:21 そして、1主の2御名を呼び求める者はすべて3救われる』。

回復訳聖書 使徒2:21フットノート3

 これ(21節)は、使徒2章17節で始まったヨエルの予言の引用の結論であり、神が彼の霊をすべての肉の上に注がれた結果、彼らが主の御名を呼び求めることを通して救われることを示しています。神が彼の霊を注がれることは、彼の選びの民に主の救いを適用することです。救われることはその霊、すなわち、神の新約エコノミーにおける福音の祝福を受けることです(ガラテヤ3:2514)。この霊は息としての主ご自身であり(ヨハネ20:22)、わたしたちにとって生ける水です(ヨハネ4:1014)。彼をわたしたちの息として吸い込み、わたしたちの生ける水として飲むためには、彼を呼び求める必要があります。哀歌第3章55節から56節は、主を呼び求めるとは呼吸することであることを示し、イザヤ書第12章3節から4節は、主を呼び求めるとは飲むことであることを示しています。わたしたちは主を信じた後も、彼を呼び求める必要があります。それは、わたしたちが救われるためだけでなく、彼の豊富を享受するためでもあります(ローマ10:12-13)。わたしたちが霊を活用して彼の御名を呼び、彼を吸い込み、彼を飲む時、彼の豊富を享受します。これが、真に神を礼拝することです。主はこのような礼拝を(ヨハネ4:24)、彼が与えられた生ける水を飲むこと(ヨハネ4:14)と結び付けられました。

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