神の義は、イエス・キリストの信仰を通して、信じるすべての人にもたらされました(171)

イエス・キリストの信仰(πίστεως Ἰησοῦ Χριστοῦ<pisteōs Iēsou Christou>)―ローマ3:22

【回復訳】 ローマ3:22 すなわち神の義は、イエス・キリストの信仰を通して、信じるすべての人にもたらされました.そこには何の区別もありません.

その他の翻訳は「pisteōs Iēsou Christou」を「イエス・キリストの真実」「イエス・キリストへの信仰」「イエス・キリストを信じることにより」「イエス・キリストのまことによる」「イエス・キリストを信じる信仰」などと訳しています。日本語訳聖書の比較はこちらのサイトから参照いただけます。

ギリシャ語

δικαιοσύνη δὲ Θεοῦ διὰ πίστεως Ἰησοῦ Χριστοῦ, εἰς πάντας τοὺς πιστεύοντας· οὐ γάρ ἐστιν διαστολή·(Nestle 1904)

Strong's Concordance
pistis: faith, faithfulness
Original Word: πίστις, εως, ἡ
Part of Speech: Noun, Feminine
Transliteration: pistis
Phonetic Spelling: (pis'-tis)
Definition: faith, faithfulness
Usage: faith, belief, trust, confidence; fidelity, faithfulness.

こちらのサイトを引用させて頂きました:Bible Hub

解説

『あるいは、イエス・キリストにある信仰。この信仰は、わたしたちの中にあるイエス・キリストの信仰を言います。それは、わたしたちが彼を信じる信仰となりました(ローマ3:26.ガラテヤ2:16、20.3:22.エペソ3:12.ピリピ3:9)。
 信仰には対象があり、信仰はその対象から出てきます。この対象は、肉体と成った神であるイエスです。人が彼に聞き、彼を知り、彼を評価し、彼を尊ぶ時、彼は人の内側に信仰を生じさせて、人が彼を信じることができるようにされます。こうして、彼が人の中で、彼を信じる信仰となられるのです。ですから、この信仰は彼にある信仰となり、彼に属する信仰でもあります。
 神の新約エコノミーの中で、神は人が、肉体と成った神であるイエスを信じることを願われます。もし人が彼を信じないなら、神の御前に唯一の罪を犯します(ヨハネ16:9)。しかしながら、人が彼を信じるなら、神の御前に極みまで義となり、神はこの信仰をその人の義と認められます。同時に、この信仰はその対象、すなわち、神が肉体と成った方を、彼を信じる者たちの中にもたらされます。彼は神の義であり、神は義としての彼を、彼が内住している者たちに与えられました(エレミヤ23:6)。これはすべて、彼にある信仰、彼の信仰からであり、それに基づいています(ヘブル12:2)。』(回復訳聖書 ローマ3:22フットノート1

補足

イエス・キリストの信仰を通して

 聖書を学ぶ者は、「イエス・キリストの信仰」(ローマ3:22)という言葉に大きな困難を持っています。ある人は、それはイエス・キリストを信じるわたしたちの行為を意味すると言います。ある人は、それはイエスの信仰のことを言い、イエスの信仰がわたしたちの信仰となることを言うと主張します。わたしはこう言います。本物の信仰は、主イエスの信仰によって彼を信じることです。わたしたちはイエス・キリストを、彼の信仰によって信じます。なぜなら、わたしたち自身の信仰はないからです。イエスがわたしたちの信仰の創始者であり、完成者です(ヘブル12:2)。わたしたちが自分を見つめ、自分を調べると、たちまち自分の信仰は消え失せてしまいます。信仰はわたしたちの発明ではありません。それは決してわたしたちが開始することはできません。わたしたちが信仰を生み出すことは不可能です。信仰はキリストご自身の面です。事実、信仰はキリストです。ガラテヤ人への手紙第2章20節は、わたしたちは神の御子の信仰によって生きると言っています。わたしは、わたしの信仰によってではなく――わたし自身の信仰はないのです――生ける神の御子の信仰によって生きます。彼は信仰を持っておられ、彼ご自身がわたしにとって信仰です。あなたは自分を見つめるなら、決して信仰を見いだしませんが、自分を忘れ、「おお、主イエスよ、あなたを愛します」と言うなら、信仰が直ちにあなたの内側に起こります。この信仰はイエスの信仰であり、あるいは、わたしたちの内側で信じておられるイエスであると言ってよいでしょう。こうして、「イエス・キリストの信仰を通して」という句は、イエス・キリストを彼の信仰によって信じることを意味します。
 神の義は律法とは別に、わたしたちがイエス・キリストを彼の信仰によって信じることを通して現されました。わたしたちはキリストを、自分の信仰によってではなく、キリストの信仰によって信じます。キリストがわたしたちの信仰です。自分は信じることができないと決して言つてはなりません。なぜなら、あなたは信じたいなら信じることができるからです。自分自身で信じようとしてはいけません。なぜなら、信じようとすればするほど、ますます信仰がなくなるからです。ただ「おお、主イエスよ、あなたを愛します。主イエスよ、あなたは本当にすばらしいです」と言ってください。そうすれば、あなたは直ちに信仰を持ちます。わたしたちはイエス・キリストを彼の信仰によって信じ、この信仰からこの信仰へと至らせ、神の義はすべて信じる者に啓示されます。

(新約ライフスタディ ローマ人への手紙 第五編「神の道における義認」より抜粋)

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