ステパノは主を呼び求めて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください!」:回復訳聖書と他の日本語訳との比較(147)

呼び求めて(ἐπικαλέωepikaleó>)―使徒7:59

【回復訳】 使徒7:59 彼らがステパノを石打ちにしている時、ステパノは主を呼び求めて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください!」。

他の日本語訳は「epikaleó」を「呼びかけて」「祈った」「祈り」と訳しています。 日本語訳聖書の比較はこちらのサイトから参照いただけます。

ギリシャ語

καὶ ἐλιθοβόλουν τὸν Στέφανον, ἐπικαλούμενον καὶ λέγοντα Κύριε Ἰησοῦ, δέξαι τὸ πνεῦμά μου.(Nestle 1904)

Strong's Concordance
epikaleó: to call upon
Original Word: ἐπικαλέω
Part of Speech: Verb
Transliteration: epikaleó
Phonetic Spelling: (ep-ee-kal-eh'-om-ahee)
Definition: to call upon
Usage: (a) I call (name) by a supplementary (additional, alternative) name, (b) mid: I call upon, appeal to, address.

こちらのサイトを引用させて頂きました:Bible Hub

解説

 『「呼び求める」のギリシャ語の言葉は、「上に」と「(名を)呼ぶ」から成っています。こうして、それは聞こえるように叫び、ステパノが行なったように、大声でさえ呼ぶことです(7:59-60)。』(回復訳聖書 使徒2:21フットノート1抜粋)

補足

使徒2:21 そして、主の御名を呼び求める者はすべて救われる』。

『主の御名を呼び求めることは、新約で始まった新しい実行ではありません。それは創世記第4章26節で、人類の第三世代であるエノスから始まりました。それは続いてヨブ(ヨブ12:4.27:10)、アブラハム(創12:8.13:4.21:33)、イサク(創26:25)、モーセとイスラエルの子たち(申4:7)、サムソン(士15:18.16:28)、サムエル(サムエル上12:18.詩99:6)、ダビデ(サムエル下22:4、7.歴代上16:8.21:26.詩14:4.17:6.18:3、6.31:17.55:16.86:5、7.105:1.116:4、13、17.118:5.145:18)、詩篇の作者アサフ(詩80:18)、詩篇の作者ヘマン(詩88:9)、エリヤ(列王上18:24)、イザヤ(イザヤ12:4)、エレミヤ(哀3:55、57)、その他の人たち(詩99:6)によって行なわれました。彼らはみな旧約時代に、主の御名を呼び求めることを実行しました。またイザヤは神を追い求める者たちに、神を呼び求めるよう命じました(イザヤ55:6)。異邦人でさえ、イスラエルの預言者たちが常に神の御名を呼び求めたことを知っていました(ヨナ1:6.列王下5:11)。北から神によって起こされた異邦人も、彼の御名を呼び求めました(イザヤ41:25)。神の民が彼を呼び求めることは、神の命令であり(詩50:15.エレミヤ29:12)、神の願いでした(詩91:15.ゼパニヤ3:9.ゼカリヤ13:9)。それは、神の救いの泉から飲む喜ばしい方法(イザヤ12:3-4)、神の中で自ら楽しむ(ヨブ27:10)、すなわち神を享受する喜ばしい方法です。ですから、神の民は、彼を日ごとに呼び求めなければなりません(詩88:9)。ヨエルが新約のヨベルについて預言したのは、そのようなヨベルの実行でした(ヨエル2:32)。
 新約聖書では、主の御名を呼び求めることは、ここで最初に、ペンテコステの日に、ペテロによってヨエルの予言の成就として述べられました。この成就は、彼の選びの民が彼の新約のヨベルにあずかるために、神が彼らの上にすべてを含む霊をエコノミー上において注がれたことと関係があります。ヨエルの預言と神の新約のヨベルのためのその成就には、二つの面があります。神の側で、彼は復活したキリストの昇天の中で、彼の霊を注ぎ出されました。わたしたちの側で、わたしたちは昇天した主の御名を呼び求めます。主はすべてを成就し、すべてに到達し、すべてを獲得された方です。わたしたちキリストを信じる者が、すべてを含むキリストと、彼が成就し、到達し、獲得したすべてにあずかり、彼を享受するために、主の御名を呼び求めることは絶対に必要です(Ⅰコリント1:2)。神の新約エコノミーの中で、これは、わたしたちの完全な救いのために、わたしたちが手順を経た三一の神を享受することができる主要な実行です(ローマ10:10-13)。初期の信者たちは、これを至る所で実行し(Ⅰコリント1:2)、未信者たち、特に迫害者たちには、キリストを信じる者たちの目立つしるしとなりました(9:14、21)。ステパノは迫害を受けた時、主の御名を呼び求めました(7:59)。その実行は、彼を迫害したサウロに強い印象を与えたことでしょう(7:58-60.22:20)。やがて不信のサウロは、彼らが主の御名を呼び求めたことをしるしとして、信者たちを迫害しました(9:14、21)。サウロが主に捕らえられた直後、彼をキリストのからだの交わりへともたらしたアナニヤは、主の御名を呼び求めてバプテスマされ、そのように呼び求める者となったことを人に示すようにと、彼に命じました。テモテへの第二の手紙第2章22節で、パウロはテモテにあてた言葉の中で、初期には主を追い求める者たちがすべて、そのように呼び求めるのを実行したことを示しました。パウロが若い同労者テモテに同じことを行なうよう命じたのですから、疑いもなくテモテもこれを実行した一人でした。それは、テモテが彼と同じように主を享受するためでした。』(回復訳聖書 使徒2:21フットノート1抜粋

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