まだイエスの栄光が現されていなかったので、その霊はまだなかったからである:回復訳聖書と他の日本語訳との比較(16)

栄光が現され……その霊はまだなかった(οὔπω γὰρ ἦν πνεῦμα, ὅτι Ἰησοῦς οὐδέπω ἐδοξάσθη<oupō gar ēn Pneuma hoti Iēsous oudepō edoxasthē>―ヨハネ7:39.参照、12:23-24)

(回復訳)・・・栄光が現されていなかったので、その霊はまだなかった

主だった日本語訳聖書では「hoti Iēsous oudepō edoxasthē」を「栄光を受けておられなかったので」と訳し、「oupō gar ēn Pneuma」を「御霊がまだ下っていなかった」、「御霊はまだ注がれていなかった」、「"霊"がまだ降っていなかった」などと訳しています(一部聖書では「oupō gar ēn Pneuma」が直訳で「まだ、なかった」であることを補足説明しています)。聖書をお持ちの方は、お手元の聖書と比較してみてください。

ギリシャ語

τοῦτο δὲ εἶπεν περὶ τοῦ Πνεύματος οὗ ἔμελλον λαμβάνειν οἱ πιστεύσαντες εἰς αὐτόν· οὔπω γὰρ ἦν Πνεῦμα, ὅτι Ἰησοῦς οὐδέπω ἐδοξάσθη.

解説

「神の霊は初めからありました(創1:1-2)が、キリストの霊としてのその霊(ローマ8:9)、イエス・キリストの霊(ピリピ1:19)は、主がこの言葉を語られた時には、まだありませんでした。なぜなら、まだ主の栄光が現されていなかったからです。イエスの栄光が現されたのは、彼が復活された時です(ルカ24:26)。イエスの復活の後、神の霊は、肉体と成り、十字架につけられ、復活したイエス・キリストの霊と成りました。キリストが復活させられた日の夕方、その霊は、彼によって弟子たちの中に吹き込まれました(ヨハネ20:22)。この霊が神の霊であった時、彼には神聖な要素があるだけでした。彼が、キリストの肉体と成ること、十字架、復活を通して、イエス・キリストの霊と成られた後、その霊は、神の要素と人の要素の両方、それにキリストの肉体と成ること、十字架、復活のすべての本質と実際を持っていました。ですから、その霊は今や、すべてを含むイエス・キリストの霊であり、わたしたちが受ける生ける水です(7:38-39)」(ヨハネ7:39のフットノート1)。

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