日ごとの救い「彼を通して神に進み出る者たちを、彼は極みまで救うことができるのです。なぜなら、彼はいつも生きていて、彼らのためにとりなしておられるからです」:聖書の重要な真理【救い】(15)

【日ごとの救い】「彼を通して神に進み出る者たちを、彼は極みまで救うことができるのです。なぜなら、彼はいつも生きていて、彼らのためにとりなしておられるからです」(ヘブル7:25)

ヘブル7:25 こういうわけで、彼を通して神に進み出る者たちを、彼は極みまで救うことができるのです.なぜなら、彼はいつも生きていて、彼らのためにとりなしておられるからです。

 この節で語られている救いは、わたしたちの救い主であるキリストが十字架上で完成した救いではありません。それは天におられるわたしたちの祭司であるキリストの救いです(参照、二四節)。これは罪の贖いのための主の救いではなく、とりなしを通してのキリストの救いです。わたしたちが信仰によって救われた後、主は日ごとの救いをわたしたちに与えます。わたしたちの祭司である主の救いは、わたしたちの贖い主である彼の救いに基づいています。彼のとりなしの救いは、彼の贖いの救いに基づいています。彼の日ごとの救いは、彼の永遠の救いに基づいています。これら二種類の救いには区別があります。わたしたちの救い主である主はわたしたちを罪から贖い、わたしたちに永遠の救いを与えました。わたしたちのとりなす祭司である主は、日ごとの即時的な救いをわたしたちに与え、毎日わたしたちを救い、わたしたちの日ごとの問題を解決します。前者の場合、わたしたちは永遠の命を受け入れましたが、後者の場合、わたしたちは天的な生活を生きることができます。主の永遠の救いはわたしたちを永遠に救い、主の日ごとの救いはわたしたちを極みまで救います。「極みまで」という言葉は時間だけでなく、程度も指しています。主の日ごとの救いは、時間に関しては終わりまでわたしたちを救い、程度に関しては極みまでわたしたちを救います。この日ごとの救いは主から来ます。彼は天でわたしたちの大祭司としていつも生きており、わたしたちのためにとりなしています。

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