それは、わたしにある信仰によって、彼らが罪の赦しと、聖別された人たちの間での嗣業を受けるためである(166)

聖別された(ἡγιασμένοις<hēgiasmenois>)―使徒26:18

【回復訳】 使徒26:18 彼らの目を開き、彼らを暗やみから光へ、サタンの権威から神に立ち返らせるのである.それは、わたしにある信仰によって、彼らが罪の赦しと、聖別された人たちの間での嗣業を受けるためである』。

岩波訳と口語訳はここの「hēgiasmenois」を回復訳と同じく「聖別された」と訳しています。その他の翻訳は「聖なる者とされ た」「聖なる」「聖められた」「きよめられた」などと訳しています。日本語訳聖書の比較はこちらのサイトから参照いただけます。

ギリシャ語

ἀνοῖξαι ὀφθαλμοὺς αὐτῶν, τοῦ ἐπιστρέψαι ἀπὸ σκότους εἰς φῶς καὶ τῆς ἐξουσίας τοῦ Σατανᾶ ἐπὶ τὸν Θεόν, τοῦ λαβεῖν αὐτοὺς ἄφεσιν ἁμαρτιῶν καὶ κλῆρον ἐν τοῖς ἡγιασμένοις πίστει τῇ εἰς ἐμέ.(Nestle 1904)

Strong's Concordance
hagiazó: to make holy, consecrate, sanctify
Original Word: ἁγιάζω
Part of Speech: Verb
Transliteration: hagiazó
Phonetic Spelling: (hag-ee-ad'-zo)
Definition: to make holy, consecrate, sanctify
Usage: I make holy, treat as holy, set apart as holy, sanctify, hallow, purify.

こちらのサイトを引用させて頂きました:Bible Hub

解説

『地位的にだけでなく、性質的にも(ローマ6:19とノート2、22)。地位的に聖別されることは、地位と用途において変化するだけです。性質的に聖別されることは、神の聖なる性質によって、またそれをもって、性質において造り変えられることです(Ⅱコリント3:18)。聖別されるとは、わたしたちの今日の享受のために、わたしたちの所有である神で浸透されることです。わたしたちの聖別は、神聖な命の円熟において完成します。それは、わたしたちが神に似る者となり、来たるべき時代に、また永遠にわたって、彼をわたしたちの嗣業として完全に所有し、享受するよう資格づけられるためです。』(回復訳聖書 使徒26:18フットノート7

わたしはあなたがたの肉の弱さのゆえに、人の言葉で語ります。あなたがたは、自分の肢体を奴隷として不潔と不法にささげて不法に至ったように、今や自分の肢体を奴隷として義にささげて、聖別に至りなさい。

しかし、今やあなたがたは罪から解放され、神の奴隷とされたので、聖別に至る実を持っており、その終局は永遠の命です。

ローマ6:19、22

聖別(参照、1:2のノート3)は、地位的な変化(世俗的、この世的な地位から神のための地位へ―マタイ23:17、19.Ⅰテモテ4:3-5)だけでなく、性質における造り変え(天然の性質から霊的性質へ)でもあります。それは、命を与える霊であるキリストが、神の聖の性質を、わたしたちの内なる各部分すべてに浸透することによります(12:2.Ⅱコリント3:18)。

ローマ6:19フットノート2

補足

聖別された人たちの間で

 使徒行伝第26章18節によれば、神聖な嗣業はキリストにある信仰によって聖別された人たちの間にあります。この聖別は地位的だけでなく、性質的でもあります(ローマ6:19、22)。聖別(聖とされること)は地位の事柄、すなわち、世俗的で、世的な地位から神の地位へ分離されるという事柄だけではありません。それはマタイによる福音書第23章17節と19節で例証されているようにです。そこでは、金は宮によって聖別され、供え物は場所の変化を通して祭壇によって聖別されます.またテモテヘの第一の手紙第4章3節から5節で食物は聖徒たちの祈りによって聖別されます。聖別はまた性質の事柄でもあります。すなわち、コリント人への第二の手紙第3章18節とローマ人への手紙第12章2節で述べられているように、天然の性質から霊的な性質へ造り変えられるという事柄です。これは長い過程を含み、再生から始まって(Iペテロ1:2-3、テトス3:5)、全クリスチャン生涯を経過し(Iテサロニケ4:3、へブル12:14、エペソ5:26)、携え上げの時、命の円熟の時に完成されます(Iテサロ5:23)。

 地位的に聖別されることは、地位と用途において変化するだげです。性質的に聖別されることは神の聖なる性質によって、またそれをもって性質において造り変えられることです。聖別はわたしたちの今日の享受のために、わたしたちの所有としての神で浸透されることです.それは神聖な命の中の円熟において完成し、わたしたちは神に似て、資格づけられて来たるべき時代においても永遠にわたっても、彼をわたしたちの嗣業として完全に所有し享受します。

(新約ライフスタディ 使徒行伝(二)第六九編より抜粋)

無料聖書進呈をご希望の方はこちらからどうぞ

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事