信者と聖書との関係: 「説き明かされた」(ルカ24:27、参照、32節、使徒18:24、26)
ルカ24:27 そして、モーセとすべての預言者たちから始めて、聖書全体にわたり、ご自身についての事柄を説き明かされた。
ルカ24:32 彼らは互いに言った、「彼が道でわたしたちに語りかけて、聖書を開いてくださっていた時、わたしたちの心が内側で燃えたではないか?」。
使徒18:24,26 さて、アレキサンドリヤ生まれのユダヤ人で、アポロという名の雄弁な人がエペソに着いた.彼は聖書のことで力があった。・・・この人は会堂で大胆に語り始めた。すると、彼の話を聞いたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に解き明かした。
わたしたちはまた聖書を説き明かすべきです。説き明かすことと語ることはほとんど同じことです。説き明かすことと明確に語ることはどちらも、人々に聖書の言葉について告げます。それは聖書の真理と教えが理解されることができるためです。
信者と聖書との関係:「真理の言を真っすぐに裁断する」(Ⅱテモテ2:15)
Ⅱテモテ2:15 あなたは良しと認められた者、真理の言を真っすぐに裁断する、恥じるところのない働き人として、神に自分自身をささげるように、熱心に努めなさい。
わたしたちは聖書の真理をあいまいな方法で説明してはなりません。わたしたちは真理の言を真っすぐに裁断しなければなりません。聖書の中のさまざまな真理には境界があります。それらは結び付けられ相互に関係がありますが、混同され混合されることはできません。わたしたちはこれらの真理を境界にしたがって真っすぐに裁断し、はっきりと区別しなければなりません。わたしたちはそれらを曲解したり、不適切に説明したりしてはなりません。例えば、旧約における律法は神によってイスラエルの子たちに与えられました。もし恵みの下にある新約の信者が旧約の律法を守るように教えられるなら、時代の境界を越えています。これを教える人たちは、律法の時代と恵みの時代は関係があっても分離しているという聖書の中の真理を真っすぐに裁断していません。明確な分離がなければ、真理は混同され曲解されており、真理の言は真っすぐに裁断されません。カトリック教会は旧約の多くの儀式を新約の中にもたらし*1、またセブンスデー・アドベンチストは安息日を新約の中にもたらしました。どちらの実行も真理の境界にしたがっていません。それらは真理を曲解し、混同しています。わたしたちは決してこのことを行なってはなりません。わたしたちは真理の境界にしたがって真理の言を真っすぐに裁断しなければなりません。わたしたちはどの真理が旧約のものであり、どの真理が新約のものであるかを明確に区別しなければなりません。わたしたちは、どの言葉が律法の下にいたイスラエルの子たちに語られ、どの言葉が恵みの下にある信者たちに語られ、またどの言葉が異邦人に語られたのかを識別しなければなりません。わたしたちは救いに言及する言葉、褒賞に言及する言葉、わたしたちが受けた恵みに言及する言葉、わたしたちの責任に言及する言葉を知らなければなりません。わたしたちは聖書を適切に知り、間違いを避けるために、境界にしたがって聖書の中のこれらの真理を真っすぐに裁断しなければなりません。
*1 例えば、聖職者しか儀式を行えないという、旧約の祭司職の実行など。(新約の信者は万人祭司[Iペテロ2:5,9]であり、信者は直接、神に仕える)