【わたしたちの魂の救い】「すべて自分の魂の命を救おうとする者はそれを失い、すべてわたしのため、また福音のために、自分の魂の命を失う者はそれを救う」(マルコ8:35)
マルコ8:35 なぜなら、すべて自分の魂の命を救おうとする者はそれを失い、すべてわたしのため、また福音のために、自分の魂の命を失う者はそれを救うからである。
この箇所は、マタイによる福音書第16章25節と同じことを言っています。それは主のために自分の魂の命を失うことについて語っており、また福音のために自分の魂の命を失うことについても語っています。主のためであることと、福音のためであることは、分けることができない事柄です。わたしたちはこの時代に自分の魂の享受と、自分の魂の命そのものを犠牲にするなら、将来の王国において、栄光の中で主と共に王として支配して主の喜びを享受するときに、自分の魂の特別な享受を得ます。
【わたしたちの魂の救い】「すべて自分の魂の命を保とうとする者はそれを失い、すべて魂の命を失う者はそれを生かす」(ルカ17:33)
ルカ17:33 すべて自分の魂の命を保とうとする者はそれを失い、すべて魂の命を失う者はそれを生かす。
この時代に自分の魂の命、また自分自身のための魂の命の享受を保とうとする信者は、王国時代において自分の魂の享受を失います。すべて主のために魂の享受を失う者は、王国時代において自分の魂を救い、享受を得ます。
【わたしたちの魂の救い】「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マタイ10:32、24:13)
マタイ10:32 それゆえに、だれでもわたしの中で、人々の前でわたしを言い表す者は、わたしもその人の中で、天Sにおられるわたしの父の御前でその人を言い表す.
マタイ24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
ここで主によって語られている救いは、最後まで耐え忍ぶことを要求します。これはただ信仰だけを要求する永遠の救いとは異なります。文脈によれば、主は魂の救いについて語っています。ある信者たちは主のために迫害され、殺されます。彼らが最後まで耐え忍ぶなら、主は彼らの魂に苦難を避けるようにすることによって、また彼らに主の喜びの享受を与えることによって、将来において彼らに褒賞を与えます。