すべてを含むキリスト(6)良き地の良さ ― その計り知れない豊富(3)― 食物【2】

第6章 良き地の良さ ― その計り知れない豊富(3)― 食物【2】

 カナンの良き地にある食物の中の三つの項目、すなわち小麦、大麦、ぶどうの木の意義はこうです。肉体と成り、制限され、十字架につけられ、葬られたイエスが最初にわたしたちの経験となり、次にわたしたちは復活したキリストと接触します。わたしたちは彼の復活の力によって、彼がこの地上で生きられた命を生きることができます。わたしたちは復活したキリストによって、肉体と成り制限されたイエスの命を生きることができます。そしてわたしたちはキリストを享受すればするほど、ますます苦しまなければならないことを学びます。わたしたちはキリストを経験すればするほど、ますます酒ぶねの中へと置かれます。わたしたちは圧搾されて何かが生み出され、神と人を喜ばせます。

いちじくの木

 四番目の項目はいちじくの木です。士師記第9章11節は、いちじくの木が甘さと良い実を表すと告げています。それはわたしたちの供給としてのキリストの甘さと満足について語っています。
 わたしたちは経験から、キリストを小麦として、大麦として、ぶどうの木として享受すればするほど、ますますキリストの甘さと満足を経験することを認識します。わたしたちはキリストを復活した方として享受すればするほど、ますます圧搾され、彼をぶどうの木としてますます享受します。まさにその瞬間、わたしたちはキリストの甘さと満足をわたしたちの供給として認識するのです。主の甘さと満足がわたしたちの供給となります! わたしたちは圧搾されればされるほど、ますます満たされます。圧搾はわたしたちに、主の甘さと満足を認識させるだけです。これがいちじくの木としてのキリストです。

ざくろ

 わたしたちは今、第五の項目、ざくろに来ます。あなたは熟したざくろを見るとき、命の豊富と麗しさを直ちに認識します。
 あなたがキリストを小麦として、大麦として、ぶどうの木として、いちじくの木として享受し経験するとき、キリストの麗しさがあなたの周りにあり、キリストの命の豊富があなたと共にあります。これがキリストをざくろとして経験することです。あなたはキリストを復活した方として享受し、また彼の復活の力によってこの地上でイエスの命を生きて、あらゆる種類の圧搾、迫害、困難、争いに苦しむなら、あなたの内側でキリストの甘さと満足を認識し、命の麗しさと豊富を他の人に現すでしょう。他の人はあなたと接触するとき、キリストの愛と吸引力を感じ、命の豊富が彼らに分け与えられるでしょう。

オリブの木

 第六の項目はオリブの木です。オリブの木はオリブ油を産出します。これは、わたしたちが植物として分類する食物の最後の項目です。ゼカリヤ書第4章12節から14節で、二本のオリブの木が主の御前にあり、それらは二人の油の子です。わたしたちは、キリストが油の御子であることを認識しなければなりません。キリストは神の聖霊で油塗られた人です。神は彼に喜びの油を注がれました。彼は聖霊に満ちている人です。彼はオリブの木、油の御子です。おお、わたしたちは彼を小麦として、大麦として、ぶどうの木として、いちじくの木として、ざくろとして享受するなら、確かに彼をオリブの木として享受するでしょう。それは、わたしたちが聖霊で満たされることを意味します。わたしたちは油に満ち、オリブの木となるでしょう。
 士師記第9章9節は、オリブの木の油が神を尊び、また人を尊ぶのに用いられると告げています。わたしたちは神あるいは人を尊ぼうとするなら、オリブ油によって尊ばなければなりません。これはただ、わたしたちが主に仕えようとするなら、人を助けようとするなら、それを聖霊によって行なわなければならないことを意味します。わたしたちはその霊で満たされた人、オリブの木、油の子でなければなりません。わたしたちは聖霊なしで、主に仕え、あるいは他の人を助けることは決してできません。しかし主を賛美します。わたしたちは彼を小麦、大麦、ぶどうの木、いちじくの木、ざくろとして享受するなら、確かに油を持ちます。わたしたちは聖霊で満たされるでしょう。わたしたちは真に神と人を尊ぶことができるでしょう。
 わたしたちが聖霊で満たされて神と人を尊んでいるかどうかは、どのようにして日ごとにキリストを小麦、大麦、ぶどうの木、いちじくの木、ざくろ、そしてオリブの木として享受し経験するかにかかっています。わたしたちは初めの五つの項目を経過するなら、必ず六番目のオリブの木に来るでしょう。わたしたちは油の子、聖霊に満ちた聖徒となるでしょう。

動物の命

 植物の命は生み出し、増殖する命です。それは常に生み出し増殖している命です。一粒の麦が地に落ち、死んで葬られると、三十倍、六十倍、百倍の実が生み出されます。これは生み出すことであり、これは増殖です。ですから、植物の命によって表される主イエス・キリストの面は、生み出し増殖することです。これが一つの面です。
 堕落の前、人が罪を犯す前に、神が人のために定められた食物は植物界のものであって、動物界のものではありませんでした。堕落の後、人が罪を犯した後、人の食物のために血が流されなければなりませんでした。動物は堕落の前、人の食用のために必要ではありませんでしたが、罪が入ったとき、人は彼の食物の中に動物を含めなければならなくなりました。罪がないなら、血を通しての贖いの必要はありませんでしたが、堕落の後、罪のゆえに、血が必要とされました。わたしたちは神の御前に生きようとするなら、血を通しての贖いにあずからなければなりません。動物の命は贖う命、犠牲となる命を表徴します。人が堕落して罪を犯した後、そのような命が神の御前で生きるのに必要とされました。
 これらは主の命の二つの面です。一方で、彼の命は生み出す命であり、もう一方で、彼の命は贖う命です。主はヨハネによる福音書第6章で言われました、「わたしの肉はまことの食物であり、わたしの血はまことの飲み物である。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を持つ」。わたしたちはキリストを、贖う方として享受しなければなりません。

乳と蜜

 良き地は乳と蜜の流れる地です。申命記第8章8節で、蜜は植物と一緒に置かれています。すなわち、小麦、大麦、ぶどうの木、いちじくの木、ざくろ、オリブの木、そして蜜です。そして申命記第32章14節で、乳は動物と一緒に置かれています。すなわち、牛、羊、乳、脂肪です。聖霊は蜜を植物と一緒に置き、乳を脂肪と動物と一緒に置いておられます。蜜は大部分、花や木から取られます。もちろん、動物の命の一部分であるあの小さい動物である蜜蜂も含まれます。花がなければ蜜は得ることができず、蜜蜂がなければ蜜も得ることはできません。わたしたちは花を持たなければならず、また蜜蜂を持たなければなりません。この二つは協力します。この二つの命が共にミングリングされて蜜が生み出されます。しかし蜜は大部分、植物の命に属しています。
 乳は大部分、動物の命に属していますが、それは動物の命と植物の命の両方の産物です。もしわたしたちに牧場がなく、もし牧草がないなら、たとえ牛や羊を持っていても、乳や脂肪を得ることはできません。どちらがさらに良い食物でしょうか? 乳でしょうか、それともすべての木の実(ぶどう、いちじく、ざくろ、オリブ)でしょうか? そうです。それらはみな良いのですが、どちらがさらに良いのでしょうか? わたしは、乳が植物の命のすべての実よりも良いことを、わたしたちがみな認識していると信じます。なぜでしょうか? なぜなら乳と蜜の両方で、わたしたちは二種類の命のミングリングを享受するからです。あなたは、この項目が両方とも植物の命と動物の命のものであることを見ます。
 乳と蜜はキリストの命のどの面を描写しているのでしょうか? あなたがキリストを小麦、大麦、ぶどうの木などとして享受し、同時に彼を牛として、また小羊として享受しているとき、主がとてもすばらしく、主があなたにとってとても甘くとても豊富であり、乳や蜜のようであることを認識します。特にあなたは霊において弱く、主に来て主を経験し適用するとき、主が乳と蜜であることを感じます。あなたはキリストの命の豊富と甘さを感じます。おお、乳のすばらしさと蜜の甘さ! キリストはとてもすばらしいのです! キリストはとても甘いのです! 彼は乳と蜜の流れる地です。この経験は、キリストの命の二つの面、すなわち生む命と贖う命から生み出されます。あなたがキリストを小麦と大麦などとして、また同時に牛と羊として認識すればするほど、ますますキリストを乳と蜜として享受するでしょう。

(「すべてを含むキリスト」、第 6 章より抜粋)


JGW 日本福音書房の許可を得て掲載しております。

さらにお読みください:申命記8:7-9と7節のフットノート1.士師記9:8のフットノート1

申命記8:7-9と7節のフットノート1
申命記8:7-9 それはエホバ・あなたの神が、あなたを良き地に導こうとしておられるからである.そこは水の流れ、泉、源泉があり、谷間と山々に流れている地であり、小麦と大麦とぶどうといちじくの木とざくろのある地、油のオリブの木と蜜のある地であり、あなたが欠けることなくパンを食べる地であり、あなたはそこで何も欠けるものはない.その地の石は鉄であって、その山々からは銅を掘り出すことができる。

7節のフットノート1 良き地、カナンの地は、すべてを含むキリストの満ち満ちた、完全で、究極的な予表です。キリストは三一の神の具体化であり(コロサイ2:9)、すべてを含む、命を与える霊として(Ⅰコリント15:45.Ⅱコリント3:17)、神の民に割り当てられた嗣業として実際化され、彼らの享受となります(コロサイ1:12とフットノート2.2:6-7と6節のフットノート2.ガラテヤ3:14とフットノート3)。7節から9節における良き地の豊富は、キリストの計り知れない豊富のさまざまな面を予表します(エペソ3:8)。それらは、彼の霊の中の信者たちに対する満ちあふれる供給です(ピリピ1:19)。流れ、泉、源泉は、あふれ流れる霊としてのキリストを表徴し(ヨハネ4:14.7:37-39.啓22:1)、谷間と山々は、あふれ流れる霊としてのキリストを、わたしたちが経験するさまざまな種類の環境を表徴します(参照、Ⅱコリント6:8-10)。小麦は、肉体と成ったキリストが、十字架につけられ、葬られて、ご自身を増殖させたことを予表します(ヨハネ12:24)。大麦は、最初に熟する穀物であり(サムエル下21:9)、初穂としての復活したキリストを指します(Ⅰコリント15:20)。ぶどうの木は、キリストがご自身を犠牲としてささげて、ぶどう酒を生み出し、神と人を活気づけることを予表します(士9:13.マタイ9:17)。いちじくの木は、命の供給としてのキリストの甘さと満足について語っています(士9:11)。ざくろは、命としてのキリストの豊富の豊満、充足、美しさ、表現を表徴します(出28:33-34.列王上7:18-20.雅4:3後半、13)。パンは、命のパンとしてのキリストを表徴します(ヨハネ6:35、48)。オリブの木は、キリスト(ローマ11:17)がその霊で満たされ、その霊で油塗られたことを予表します(ルカ4:1、18.ヘブル1:9)。オリブ油は聖霊を予表し、わたしたちはこの聖霊によって歩いて、神を尊び、またこの聖霊を供給して、人を尊びます(ガラテヤ5:16、25.Ⅱコリント3:6、8.士9:9)。乳と蜜は(6:3)、キリストの良さと甘さを語り出しています(参照、出3:8のフットノート2)。石は、神の住まいを建造する材料としてのキリストを表徴します(イザヤ28:16.ゼカリヤ4:7.Ⅰペテロ2:4)。鉄と銅は、武器を造るためであり(創4:22.サムエル上17:5-7)、敵と戦うわたしたちの霊的戦いを予表します(Ⅱコリント10:4.エペソ6:10-20)。また鉄は、キリストの支配する権威を表徴しており(マタイ28:18.啓19:15)、銅は、キリストの裁く力を表徴します(啓1:15とフットノート1)。銅が採掘される山は、キリストの復活と昇天を表徴します(エペソ4:8とフットノート1)。
神のエコノミーの目標は、単に彼の民を贖い、エジプトで予表されるこの世から救うことだけでなく、良き地で予表されるキリストの中へともたらし、彼らが彼を所有し、彼の計り知れない豊富を享受することでもあります。イスラエルの子たちは地の豊富を享受することによって、宮を建造して、地上での神の住まいとならせることができました。また、エルサレムの都を建造して、地上に神の王国を設立することができました。同じように、キリストにある信者たちは、キリストの計り知れない豊富を享受することによって建造され、キリストのからだ、召会となります。それは、キリストの豊満、彼の表現(エペソ1:22-23)であり、また神の住まい(エペソ2:21-22.Ⅰテモテ3:15)と神の王国です(マタイ16:18-19.ローマ14:17)。究極的には、神の住まいと神の王国は、永遠の世の新エルサレムにおいて究極的に完成し、神の永遠のエコノミーを完成します(啓21:1-3、22.22:1、3)。

士師記9:8のフットノート1

士師記9:8 ある時、木々が出て行って、自分たちの王を油塗ろうとした。彼らはオリブの木に、『わたしたちを治めてください』と言った。

9:8フットノート1 オリブの木は、聖霊に満ちており、その霊(オリブ油で表徴される)で油塗られた方(ルカ4:1前半、18前半.ヘブル1:9)としてのキリストを表徴します(参照、ローマ11:17.ゼカリヤ4:11-14.啓11:4前半)。オリブの木の油は神と人を尊ぶのに用いられ(9節)、その霊によって歩いて神を尊ぶ人(ガラテヤ5:16、25)、その霊を供給して人を尊ぶ人(Ⅱコリント3:6、8)を表徴します。

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