わたしたちが救われていることを知る
Ⅰヨハネ5:13 わたしがこれらの事をあなたがたに、すなわち、神の御子の名の中へと信じているあなたがたに書き送ったのは、あなたがたが永遠の命を持っていることを知るためです。
外側の証明「わたしがこれらの事を…書き送ったのは、あなたがたが永遠の命を持っていることを知るためです」(Ⅰヨハネ5:13)
この節が語っているのは、これらの事が書き送られたのは、わたしたちが永遠の命を持っていることを知るためであるということについてです。「これらの事」は、この節の前に書かれているすべての事を指しており、それは聖霊を通して神によって書かれました。聖霊を通して神によって書かれたことは、わたしたちが永遠の命を持っていることを知らせます。ですから、それらはわたしたちが救われていることを知らせる第二の証明です。第二の証明は、聖霊を通して神によって書かれた御言、すなわち聖書です。聖書はわたしたちの外側にあるので、それは外側の証明と呼ぶことができます。わたしたちの救いの内側の証明は聖霊であり、外側の証明は聖書です。神はわたしたちの内側の聖霊を用いて、わたしたちが神の子供たちであることを証明するだけでなく、また外側の聖書を用いて、わたしたちが神の命を持っていることを確証します。神が聖書を用いて御子を通してわたしたちのために完成した贖いについて証しするのと同じように、神はまた聖書を用いてわたしたちの救いを完成し、御子の中で、また聖霊を通してこの救いをわたしたちの中へと造り込んだことを確証します。使徒行伝第10章43節は言います、「彼の中へと信じる者はすべて…罪の赦しを受ける」。第13章39節は言います、「この方を信じる人はすべて義とされるのです」。ヨハネによる福音書第3章18節は言います、「御子の中へと信じる者は、罪定めされない」。他の節も、彼の中へと信じて永遠の命を持つことについて語っています(16、36節、6:40)。ヨハネによる福音書第5章24節は、彼を信じる者は永遠の命を持っており、死から命へ移っていることについて語っています。ヨハネによる福音書第1章12節は言います、「すべて彼を受け入れた者、すなわち、御名の中へと信じる者に、彼は神の子供たちとなる権威を与えられた」。ヨハネの第一の手紙第5章12節は言います、「御子を持つ者は命を持っています」。使徒行伝第16章31節は言います、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも…救われます」。ローマ人への手紙第10章10節は言います、「人は心で信じて義とされ、口で告白して救われるからです」。同じ章の13節は言います、「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」。聖書の中のこれらの箇所は神がわたしたちに与えた啓示、あるいは約束であるだけではありません。そうではなく、それらは書かれた契約です。それらは神がわたしたちのために書いた証明です。神の書かれた契約の言葉、これらの書かれた証明に基づいて、わたしたちは確信をもって知ることができますが、わたしたちが主を信じるとすぐに、わたしたちの罪は赦され、わたしたちは義とされ、もはや罪定めされず、永遠の命を持っており、神の子供たちであり、救われています。
人は遺書や遺言書を通して相続を受けます。主はご自身の書かれた契約についてのこれらの言葉をわたしたちのために遺言書とし、それによってわたしたちが神の救いの祝福を受け継ぐことができるようにしました(ヘブル9:15-19)。相続を遺贈する人は、自分の相続のすべてを遺書や遺言書に記入し、それを自分の相続人に譲ります。主はご自身の救いを、書かれた遺言書である聖書にまとめ、それをわたしたちに与えました。人は感覚や想像によってではなく、遺書や遺言書にはっきり書かれている条件にしたがってその財産を受け継ぎます。同様に、わたしたちは聖書、すなわち主によってわたしたちに与えられた、書かれた遺書にしたがって、主の恵みを受け継ぎます。わたしたちは感覚や想像によらず、聖書にはっきり書かれている条件にしたがって相続します。聖霊の内側の証明には感覚があります。しかし、聖書の外側の証明には感覚の必要はありません。内側の証明としての聖霊について、わたしたちには感覚があり、わたしたちは感覚を持つでしょう。しかし、外側の証明である聖書について、わたしたちは感覚を必要とせず、感覚を持っているかどうかについて心配すべきではありません。わたしたちはただ、自分が救われているかどうかを決定する聖書というはっきり書かれた条件の上に立つべきです。このことによって、わたしたちは自分たちが救われていることを知ることができます。