信仰によって救われる「あなたがたの罪が彼の御名のゆえに赦されている」「その御子の中で、わたしたちは贖い、すなわち罪の赦しを得ています」:聖書の重要な真理【救いの確信】(1)

救いの確信

 救いの確信が意味するのは、わたしたちがわたしたちの救いを確信することができるということです。確信は単に知る事柄だけでなく、確かである事柄でもあります。

信仰によって救われる

 多くの人は、信仰は現在の事柄であり、救いは将来の事柄であると考えています。彼らが考えているのは、たとえ人が今、信じても、将来においてはじめてその人が救われるということです。しかし聖書ははっきりと、正確に、明確に告げていますが、いったん人が信じるなら、その人は救われています。人は信じるとき、救われようとしているのではありません。そうではなく、その人は救われています。人は信じるなら、現在において救われており、将来を待つ必要はありません。信仰と救いの間に分離する隔たりはありません。

「あなたがたの罪が彼の御名のゆえに赦されている」、「その御子の中で、わたしたちは贖い、すなわち罪の赦しを得ています」(Iヨハネ2:12、コロサイ1:14)

Iヨハネ2:12 小さい子供たちよ、わたしが書き送るのは、あなたがたの罪が彼の御名のゆえに赦されているからです。
コロサイ1:14 その御子の中で、わたしたちは贖い、すなわち罪の赦しを得ています.

 これら二つの聖書の節において、わたしたちは「いる、います」という言葉を強調しなければなりません。わたしたちの罪は彼の御名のゆえに赦されて「います」。これらの節は、わたしたちの罪が赦される「であろう」と言っているのではなく、赦されて「いる」と言います。それはわたしたちの働きやわたしたち自身の何かのゆえにではなく、彼の御名のゆえにです。もし赦しがわたしたちの働きやわたしたち自身の何かによるとしたら、わたしたちがそれを成し遂げるまで待つ必要があり、そうしてはじめてそのことは決定されます。しかし、これは事実ではありません。そうではなく、彼の赦しが御名のゆえにあります。いったんわたしたちは信じて主の御名を告白するなら、彼の御名にあずかり、彼の御名とかかわりを持つようになります。ですから、彼の御名のゆえに、わたしたちの罪は赦されて「います」。わたしたちが主の御名を告白し、彼の御名を所有するとき、わたしたちの罪は彼の御名のゆえに、その時に赦されます。こうして、神はわたしたちのすべての罪を赦して「います」。わたしたちは将来において罪が赦されるのを待つ必要はありません。わたしたちが信じたその時、彼はわたしたちを赦しました。さらに、神はわたしたちの罪のある部分だけでなく、すべての罪とすべての邪悪を赦して「います」。こうして、いったんわたしたちが信じるなら、わたしたちのすべての罪は赦されて「おり」、わたしたちは救われて「います」。

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