【信仰によって救われる】「わたしの言を聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠の命を持っており、また裁きを受けることがなく、死から命へ移っているのである」(ヨハネ5:24)
ヨハネ5:24 まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.わたしの言を聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠の命を持っており、また裁きを受けることがなく、死から命へ移っているのである。
この節において、「持っており」、「ことがなく」、「移っているのである」という語はとても尊いです。わたしたちは真にそれらに注意を払うべきです。わたしたちは信じるとすぐに、永遠の命を持ちます。わたしたちは裁きを受けることがありませんし、罪定めされることもありません。またわたしたちは死から命へ移っています。わたしたちは主の言葉、福音を聞いて、それを信じるとき、永遠の命を持ち、それを得るために将来まで待つ必要はありません。信じることと永遠の命を得ることの間に「でしょう」という言葉はありません。そうではなく、「持っており」という言葉があります。「でしょう」には隔たりがありますが、「持っており」は直ちにを意味します。信じる者は持っています。将来を待つ必要はありません。人は信じる時に永遠の命を持ち、裁きを受けることがなく、死から命へ移っています。わたしたちはアダムの中におり、罪のゆえに罪定めされ、裁きの下にいました。今やわたしたちはキリストの中へと信じているので、義のゆえに裁きを受けることはあり得ません。わたしたちは神によって義とされ、キリストの中で神の義となります。なぜなら、彼は十字架上でわたしたちの罪を担い、わたしたちのために罪となり、わたしたちがアダムの中で受けるべきであった裁きを受けたからです。こうして、わたしたちはアダムの中にある罪定めと裁きから逃れ、裁きを受けることがなく、罪定めされることもありません。さらに、アダムの中でわたしたちは罪の問題と罪定めを持っていただけではなく、死の中にいました。キリストは十字架上でわたしたちの罪を担い、わたしたちのために罪定めを受けましたが、彼はまたわたしたちのために死を徹底的に味わい、わたしたちのために死を無効にし(ヘブル2:9、Ⅱテモテ1:10)、ご自身の命を解き放ち、それをわたしたちの中へと分与しました。ですから彼の中へと信じることによって、わたしたちは罪定めから逃れただけではなく、死からも逃れたのです。わたしたちは罪定めの下におらず、また死から命へ移っています。主がわたしたちのために死を徹底的に味わい、わたしたちのために死を滅ぼしたので、わたしたちは彼の中へと信じ、彼に結合されることによって、死から命へ移っています。ですから、いったんわたしたちが信じるなら、永遠の命を持っていること、裁きを受けることがないこと、死から命へ移っていることは、将来における事柄ではありません。そうではなく、いったんわたしたちは信じるなら永遠の命を持ち、裁きを受けることがなく、死から命へ移っています。これらは、将来においてわたしたちが持つ事柄ではありません。それらは現在においてわたしたちが得る事柄です。