【今や救われていることを知ることができる】「というのは…わたしたちは神からの建物…天にある永遠の住まいを得ることを、知っているからです」(Ⅱコリント5:1)
Ⅱコリント5:1 というのは、わたしたちの地上の幕屋である住まいが壊れるなら、わたしたちは神からの建物、すなわち手で造られたのではない、天Sにある永遠の住まいを得ることを、知っているからです。
この節は、わたしたちが神によって建造された天にある永遠の建物を得ることを知っていると語っています。この天にある永遠の建物は、永遠である贖われた体を指しています。わたしたちの現在の体は単なる地上の幕屋にすぎません。それは一時的です。わたしたちは救われており、主の命を持っていますが、この幕屋の中でため息をつき、労苦しています。主が再来するとき、わたしたちの体は贖われ、わたしたちは天にある永遠の建物である栄光の体を着せられます。これはわたしたちの死ぬべき体が命の中で飲み尽くされるようにします。この目的のために、神はわたしたちの霊の中で命の働きを行ないましたが、ご自身の命を用いてわたしたちをはぐくんでいます。それは神がわたしたちの中のこの命を用いて、わたしたちの外側の体を飲み尽くし、将来においてわたしたちの内側の霊から外側の体まで、神の命によってわたしたちを完全に贖うためです。こうして、わたしたちは神の栄光の自由に入ります。このために、神はご自身の命の中でわたしたちをはぐくむ内側の働きを行なっているだけでなく、またご自身の霊を内側の担保と保証としてわたしたちに与え、わたしたちのためにこの事柄を完成する担保と保証になります。わたしたちは栄光の贖われた体、天にある永遠の建物を得ます(2―3節)。わたしたちは救われて神の命を持っているので、わたしたちの中で働く神の命によって、また神がわたしたちに与えた聖霊によって、今この事実を知ることができます。わたしたちは栄光の体を着ること、また天的な栄光の自由を享受することを知ることができます(ローマ8:21―23)。