わたしたちが救われていることを知ることは、わたしたちに主を愛させ、罪から逃れさせる
多くの人は主を信じているのに、主を愛していません。多くの人は主を追い求めていますが、勝利の生活をすることを追い求めません。これには多くの理由がありますが、ある人たちにとって主要な理由とは、彼らは自分が救われていることを知らないということです。もし彼らが主の救いを受け入れ、彼の命を得て、主に属していることを確かに知っているなら、彼らは熱心に主を愛し、主を追い求め、聖なる生活をしたいと切に願うでしょう。
「こういうわけで、わたしたちはまた…彼に喜ばれようと懸命に努めています」(Ⅱコリント5:9)
使徒たちは、わたしたちが主に喜ばれようと懸命に努めていると言いました。なぜなら、わたしたちは神からの、永遠の、天にある建物を得ることを知っているからです。すなわち、わたしたちは自分が救われており、天で主に会い、主の臨在を享受することを知っているからです。わたしたちはこのことを知っているので、自然に主に喜ばれようと懸命に努めているのです。
「キリストの愛がわたしたちに押し迫っているからです。そこでこう判断しました。ひとりの方がすべての人のために死なれたからには、すべての人が死んだのです。そして、彼がすべてのために死なれたのは、生きている者が、もはや自分自身にではなく、彼らのために死んで復活させられた方に生きるためです(Ⅱコリント5:14-15)
わたしたちが主の救いを受け入れたことを知ることは、わたしたちに主の愛に対して感謝させ、またこの愛はわたしたちに押し迫って主を愛させ、彼に生きるようにさせます。