聖書の機能:「わたしは…食べました」(エレミヤ15:16。参照、マタイ4:4、ヨブ23:12、ヘブル5:14)
エレミヤ15:16 あなたの言葉Sが見いだされて、わたしはそれを食べました.あなたの言葉はわたしにとって、心の楽しみ、また喜びとなりました.エホバ、万軍の神よ、まことに、わたしは、あなたの御名によって呼ばれているのです。
聖書はわたしたちの霊的な命のための食物です。わたしたちの肉体の命に養いが必要であるように、わたしたちの霊的な命にも養いが必要です。言葉は、わたしたちの霊的な命に養いを供給することができる唯一のものです。もしわたしたちが神の御前で強く、生き生きとしていたいなら、わたしたちはパンだけで生きることはできません。わたしたちは神の口から出る言葉、すなわち聖書の言葉を必要とします。わたしたちは食物のように聖書の言葉を食べ、さらには聖書を食物よりもさらに高いものとして評価しなければなりません。わたしたちは言葉を食べて、わたしたちの霊的な命を成長させる必要があります。わたしたちはまた訓練して、聖書のさらに難しい箇所を理解し、堅い食物を食べることができる完全に成長した人にならなければなりません。この食べることと訓練がなければ霊的な命において強くなることはないでしょう。
聖書の機能:「言葉の乳」(Iペテロ2:2。参照、Iコリント3:1-2、ヘブル5:12-14)
Iペテロ2:2 生まれたばかりの赤子のように、悪巧みのない言葉の乳を切に慕い求めなさい.それによって、あなたがたが成長して救いへと至るためです.
聖書は堅い食物であるだけでなく、わたしたちの霊的な命のための乳でもあります。堅い食物は成人した者のためであり、乳は赤子のためです。わたしたちの霊的な命が円熟し、霊の事柄を理解するとき、わたしたちは聖書から堅い食物の栄養を取り出し、わたしたちの霊的な命を増強することができます。わたしたちの霊的な命が未熟で、わたしたちが霊の事柄の十分な理解に欠けるとき、乳のような聖書の言葉の分け前があります。それはわたしたちを養い、霊的な命を成長させることができます。ですから、新しく再生された信者は聖書の言葉を愛し、「生まれたばかりの赤子のように、悪巧みのない言葉の乳を切に慕い求め」なければなりません。もしそうしないなら、彼らはキリストにある赤子のままであり、彼らの霊的な命は成長しないでしょう。