どのように聖書を読むか【朝起きる】:「わたしは夜明けに先立って目覚め…わたしはあなたの言葉を待ち望みます。わたしの日は夜の見張りに先立って日覚め…思い巡らします」(詩119:147-148、参照、出16:21、イザヤ50:4)
詩篇119:147-148 わたしは夜明けに先立って目覚め、叫び求めます.わたしはあなたの言葉Sを待ち望みます。わたしの目は夜の見張りに先立って目覚め、あなたの言葉を思い巡らします。
出エ16:21 彼らは朝ごとに、各自が食べる分に応じてそれを集めた.日が熱くなると、それは溶けた。
イザヤ50:4 主エホバはわたしに、教えを受けた者の舌を与えて、疲れた者を言葉をもって、いかに支えるかを知らせられる。彼は朝ごとにわたしを呼び覚まし、わたしの耳を呼び覚まして、教えを受けた者のように聞かせられる。
朝は聖書を読むのに最上の時間です。聖書を読む多くの人たちは、これを認めています。聖書を読むのに最も良いのは、わたしたちの心が日覚めたばかりで、わたしたちの霊が清く、静かであり、わたしたちを当惑させたり、心配させたりする騒音、人々、出来事もない朝です。わたしたちが朝以外の時間に聖書を読むなら、妨げる騒音や、人々や出来事の妨害を避けて、平安の中で聖書を読むのは難しいでしょう。このことは、聖書を読むことから多くの益を得るのを困難にします。イスラエルの子たちは荒野で毎日、朝に、彼らが必要としたマナを集めました。もし彼らが太陽の昇るまで待っていたなら、マナは溶けてなくなってしまいました。事実、わたしたちが聖書からわたしたちの霊のために必要なマナを集めるためには、毎朝早く起きなければなりません。もしわたしたちが遅すぎるなら、それはその日の用事の間に溶けてなくなってしまいます。ですから、詩篇の作者たちは神の言葉を待ち望むために、朝に先立って目覚めました。彼らは夜の見張りに先立って目覚めて神の言葉を思い巡らしました。預言者イザヤも毎朝、神の御前で主の言葉に耳を傾けました。わたしたちも毎朝早く起きて聖書を読み、神の言葉を待ち望み、神の言葉を思い巡らし、神の言葉に耳を傾けてそれを受け取るべきではないでしょうか? もしわたしたちが朝、怠惰であり、自分の寝床を愛するなら、聖書からその日に必要なマナを集めることはできません。わたしたちはその日の大きな祝福を失います。朝、自分の寝床を愛する者はだれも聖書を愛することはできません。朝、怠惰である者はだれも聖書を読むことはできません。わたしたちが自分の寝床を憎み、朝早く起きないなら、朝、聖書から神の言葉のマナを集めることはできません。ですから、わたしたちは朝早く目覚めなければなりません。いったんわたしたちが目覚めたなら、起きて寝床から出なければなりません。わたしたちは寝床にとどまっているべきではありません。わたしたちはこのことを行なう心を持たなければならず、また神に求めてわたしたちに恵みを与えていただかなければなりません。
朝、聖書を読むことはわたしたちに霊的に益となるだけでなく、毎日わたしたちが遭遇する事柄を取り扱うことにおいても非常に有用です。わたしたちが朝、主の言に来て聖書を読むなら、それはわたしたちを供給して一日中わたしたちの必要に応じます。もしわたしたちが御言に来ないなら、わたしたちはその日の事柄を取り扱う力、あるいはその日の誘惑に打ち勝つ力に欠けるでしょう。ですから、わたしたちは朝、聖書を読まなければなりません。わたしたちは朝、主の言葉を求め、得なければなりません。悲しいことに、多くの兄弟姉妹はこのことを行ないません。それは真にあわれな状況です。彼らはどれほど失ってきたかを知らないのです。どうか主があわれんでくださいますように。