聖書を読む実行上の方法【わたしたちはあらゆる章の要点に注意を払い、覚えるべき】
わたしたちはあらゆる章の要点に注意を払い、覚えるべきです。わたしたちは霊感を受け、それを感じ取ったらすぐにこの霊感を祈りに変えるべきです。わたしたちは聖書の中の重要な語句を覚え、暗記すべきです。例えば、わたしたちはマタイによる福音書第一章を読むとき、第一区分はキリストの系図についてであり、第二区分はキリストの誕生についてであることを見るべきです。わたしたちはこれら二つの点を覚えるべきです。それからわたしたちは21節についてある感覚を持つかもしれません、「あなたは彼の名をイエスと呼びなさい。彼は自分の民を、彼らの罪から救うからです」。わたしたちはこの霊感を直ちに祈りに変え、彼の御名の意味にしたがってわたしたちを罪から救ってくださるよう主に求めることができます。わたしたちはまた、彼の御名の意味にしたがって、ある兄弟あるいは姉妹を彼らの罪から救ってくださるよう主に求めることができます。最後に、もしわたしたちが21節と23節における主の御名の尊さについての感覚を持つなら、これら二つの節を暗記すべきです。
聖書を読む実行上の方法【わたしたちは深い解釈を求めるべきではない】
わたしたちは深い解釈を求めるべきではありません。わたしたちが聖書を読むとき、もし深い解釈を求めているなら、容易にそらされることがあり得ます。わたしたちは自分が読んでいることを理解しようとすべきですが、深い解釈を求める必要はありません。そのような解釈は、理解することからわたしたちをそらし、妨げます。わたしたちはこのことを警戒すべきです。わたしたちは聖書を理解するために、ある水準の霊的な命を必要とします。なぜなら、わたしたちの理解はわたしたちの霊的な命の水準に比例しているからです。わたしたちの霊的な命の現在の段階を考えると、聖書のある部分は理解することができないでしょう。しかしながら、わたしたちの霊的な命が成長するにつれて、わたしたちは自然に聖書をさらに多く理解します。こういうわけで、わたしたちは聖書を読むとき、いくらかの理解を持ちますが、いつどんなときでも、わたしたちが読んでいるすべてを理解する必要性を感じるべきではありません。わたしたちは自分の霊的な把握を越えた解釈を求めるべきではありません。そうではなく、わたしたちは次回聖書を読むときに、ある箇所を理解するかもしれないということを認識すべきです。